|  | ポプラさんこんにちは。
もしかすると、もう見学旅行からお帰りになって、いろいろ楽しい思い出をお友達やご家族にお話されているかしら?
私は高校の修学旅行でいろんな複雑な思いや経験をしました。
行き先は京都・奈良(大阪)でした。移動手段は列車と青函連絡線。行きは日本海周りの寝台列車、帰りは京都〜東京間は新幹線。上野発青森行きの寝台(石川さゆりさんの『津軽海峡冬景色』みたい笑)でまた連絡線〜列車。…今では有り得ませんが、一部の札幌市立及び私立高校以外は『飛行機で修学旅行は絶対反対(?)』という道教委の通達だったためか、列車等での移動でした さらには、ちょうど私の高校二年の年に東京ディズニーランド開園で、私立高校の友達は修学旅行に組み込まれている人が多かったのです。 自由行動でも事前の班編成からもめるし、私は大阪まで行きたいと言ったら、別の人は嫌だっていうし、友達三人か四人に別れたら三つグループできるところが、人間関係でもめて(笑)九人班で決着(-.-;)もちろん現地で統率なんて取れないし、ある人が《イノダコーヒ》の京都本店にどうしても行きたいと言って、イノダコーヒを探すのに時間掛かりすぎました…(T-T)。今なら札幌大丸にも展開しています(笑) 極め付けは、帰りに大雨に見舞われ、新幹線では名古屋と浜松で長時間停車されてしまい、行程が遅れ、下手をしたら250人が野宿するかも知れない事態となり、先生達が『ちゃんと帰るためには一切団体をみだすな!』と指導が入って、東京で降りてから上野までの移動は、団体とは思えない素早い行動での乗り換えとなり、奇跡的に寝台列車に乗り込みました(爆笑)
すみません。駄文になりましたf^_^;
私の場合、ある意味《思い出の修学旅行》というより《怒涛の団体行動》(笑)でした。 東京素通りの旅行をした学校ということで、今では伝説でもあります。 |
No.19682 - 2006/11/06(Mon) 05:32:01 |