|  | ちょうど仕事中だったので、卒業旅行の話は聴いてませんでしたが、今は小学生もする時代なんですね。 私も小学校6年の最後の春に、卒業旅行ではありませんでしたが、入院している友達の見舞いに、隣町まで、汽車で友達数人と行った事があります。 私の生まれ育った田舎町に1日6回しか往復しなかった一両編成の車両でのその旅、見舞いが終わった後、何人かで町を歩き、語り合い、また、自分の町に戻る。 私の町の駅にはない売店、そして、そこの店員のお姉さんが、可愛かった、そんな事も思い出したりしました。 そんな思い出を載せた鉄路も、その年の水無月に、廃止になり、私のふるさとには、鉄路は無くなりました。 駅は、終着駅なので、本当に小さな駅でしたが、それ自体がなくなるのは、本当にさびしく感じました。 今、鉄路があちこち無くなり、むしろ、ある町の方が珍しいぐらいになりました。 私も仕事柄、5つほど住みましたが、そのうち3つはない町でした。 いや、かつてはあったんです。 駅跡は、バスターミナルに変わり、それは立派な建物ですが、やはり、駅みたいな安心感って言うか、そう言うのはありません。 これは、駅ばかりではなく、学校にも言えるのかな?と思います。 私のいた学校は、いまのところ廃校にはなってませんが、無くなるとやはり寂しいんでしょうね。 私の親が勤めていたところも無くなり、かつて私の住んでいた家も無くなり、一抹の寂しさを感じます。 他にも、鉱山があったところなどもそう感じます。 私の親がそんな町出身ですが、昔と比べて寂しくなったとよく話してました。 他にも、ダムに沈んだ町とかありますね。 かつて人がいた、ものがあった、でも、今はなくなっても、確かにそこには人が生きていたんだ、心の中で確かに生き続けているんだ、そう感じる今日この頃です。 ちょっと長く、また、感傷に浸った内容ですいませんが、初々しい心だった少年だったはるか昔の私自身を想い出しながら、ちょっと感じた事を書いてみました。 |
No.28549 - 2008/03/24(Mon) 21:25:08 |