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gakidas

gakiの戯言です

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WINGBEAT COFFEE ROASTERS
無限のポジション / gaki
 以前に野球が好きでは無いと言ったことがある。限られたレギュラー、限られたポジション。みんな必死になってポジション争い、レギュラー争い。それが人生と言えばそれまでだが、趣味の世界にまで持ち込みたくないと甘えるのは、gakiだけだろうか?
 
今『サークルドレミ』は、結成以来何度目かの氷河期を迎えていると言っても良い。10人未満の例会でもそれなりの楽しみは出来るし、それなりのレッスンも出来る。大声で歌って自己発散が目的ならそれでもいいのかも知れない。でも、少なくとも今を支えているメンバーはそうは思っていないと思う。
 
 もう十数年前になるが今のようなドレミを日本一にしたいと思い、それを実現した熱い思い、夜な夜な語り明かした若き理想を、フルパワーで再現する事はもう今のgakiには出来ないかもしれない。でもその願いに秘められた思い(俺らの声を聞いてくれ。小さなサークルでも日本一になれるんや)はどんな状況になろうとも、心の根っことして、糧として支え続けられる原動力になっていることは疑いの無い事実だとgakiは信じている。

 ドレミが今とっているスタイルは、個人の力量だけで完成できる音楽ではない。まして一人のスーパースターによって造りあげられるものではなく、それぞれの持つ個性とパワーと感性と、こつこつと積み上げられた地道な努力と、それらに裏づけされた自信、仲間意識が作り出す微妙なハーモニーによって作り出される、一種独特の音楽と言っても良いと思っている。

 それぞれ趣味の世界は各々の力量によって成り立ち、チームの力量はともすればスーパースターの出現により飛躍的に向上するのかも知れない。でも『ドレミ』はそのいずれでもなく、日本一になることが目的でもなく、強いチームになることでもない。まして競争の中、仲間を蹴落してレギュラーになることでもない。

 仲間を信頼し、使い古された『一人ぼっちの青年を無くそう』の合言葉は何時までも新鮮な響きとして感じていたい。
 繰り返しになるが、人数が目的でもない。でも、一人でも多くの人達と声を合わせ歌い、人生を語り、時には日本中の人達にドレミの姿を見てもらいたい。  レギュラー争いをするでもなく、ポジション争いをするでもなく、お互いの個性と努力がストレートにサークルの力になる。そんな当たり前の世界に、新しくドレミのメンバーを迎え、一緒に世界観を感じていたい。
No.90 - 2006/11/26(Sun) 20:30:58
太陽の塔 / gaki
突然『太陽の塔』が見たくなった。1970年日本の高度成長のシンボルと称され、オオサカバンパクは華々しく開幕した。当時15歳のgakiは高校受験の真只中にも関わらず、テレビで放映される今までに見たことも無いパビリオン、近未来を連想される映像に心を奪われ熱中した。そして『人類の進歩と調和』をテーマにそのシンボルタワーは存在したのだと信じてきた。

 ところが、とある説を目にした。塔の作者『岡本 太郎』はそのテーマに反対だったと言う。『何が人類の進歩と調和だ、人類は何も進歩なんかしていない。縄文文化を見てみろ。あの素晴らしい土器を現代人に作れるか』と言ったという。確かに『塔』は、『黒い太陽』と呼ばれる信楽焼のタイルで造られた過去の顔を背負い、無機質な未来の顔と醜い現在の顔で、我々の前に25メートルの両手を広げ、現代人の過ちの前に立ちふさがっているかのように見える。

 今から思えば、テーマそのものに反対している人物に、シンボルタワーを作らせ、今までの博覧会では考えも出来ない、エッフェル塔の様な繊細さも無い、一種異様ともいえる塔を実際に造った当時の日本人は、通常の日本人ではなかったのかもしれない・・・。
 
 そんな事を思いながら、35年前の過去を確かめるべく、吹田に向った。開幕当時はお目当てのパビリオンに何時間も列を成し、太陽の塔は特に待ち時間が長く、『見たいパビリオン』から既に候補からはずれ、今回改めて拝観することとなった。

 高さ70m、底の直径20mはやはり圧巻で、見るものを圧倒する。35年の時を経て、少しも古さを感じさせない新鮮さと、縄文文化を好んだ、そしてテーマに反発した『太郎』のメッセージが聞こえてくる。
万博終了後に取り壊しの案の中、1975年撤去反対署名運動により永久保存が決定したらしいが、まさかテーマ反対のシンボルと知る人は少ないだろう。

 『芸術は爆発だ』などと言葉を残し、変人と言われようとも自分の信念を貫き通す姿はやはり誇らしく、そんな人のメッセージは人の心を感動させるものだと思う。
 流されるのではなく、自分の信念をしっかりと持ち、日本人の持つ、事なかれ主義の中、通常では考えられない構想を実現させたのは、当時の日本人が異常だったのではなく、組織委員会を納得させた『太郎』の力と信念だったと思う。
No.89 - 2006/11/11(Sat) 01:26:46
サークルのジージ / gaki
 ぼちぼち残業を切り上げようとしていた22:00頃、携帯電話に家内からのコールが入った。『珍しいお客さんがお待ちなので、急いで帰ってきて』との事。意味ありげな言葉に、期待を膨らませ、車を飛ばす。

 玄関のドアーを開けると女性のブーツが脱いである。色々人物を想像しながらリビングのドアーを開けると、体調を崩し、暫らく休会状態だったサークルのメンバーが元気な笑顔で迎えてくれた。
家内と電車の中で偶然一緒になり、我が家に寄ってくれたのだという。

 すっかり元気になり、gakiと同業の仕事に転職したらしい。10代だった彼女は二十歳になり、少し貫禄と言うか、益々自信に満ちた顔立ちになっていた。
  
 まるで娘が帰って来たかの様な錯覚の中、仕事の事、体調の事・・・。『明日朝は5時起き』、などと言いながら屈託の無い笑顔を見せてくれ、会話が弾む。

実の娘や息子より年齢の若い、そんなメンバーが尋ねてくれるのは本当に嬉しい。そういえば、成人の日、『今ジーパンで成人式に行ってきた。Gakiさん家に挨拶に行くのに着替えてきた』とスーツ姿で新成人3人がテレくさそうに初々しい、普段見せない姿を披露してくれた。又、別の年には、『成人式の帰り』と晴れ着すがたで女性会員が尋ねてくれた。

そんなサークルの息子や、娘が結婚し、赤ちゃんを連れてきてくれる。今でこそ本当の孫が出来たが、早くからサークルのおじいちゃん役をさせてもらっている。30年近くサークルにいるとそんな楽しみがあることに気が付き、幸せものだと実感する。

先日孫を連れ、娘が帰って来た。1歳を過ぎおぼつかない足取りだが、もう歩いて見せてくれる。相変わらず甘えん坊で、一時も母親から離れられない。甘やかせてやれる時は目イッパイ甘やかせてやればいいと思う。

愛情を感じられないまま幼児期を過ごした子供は、自分の子供にも愛情が注げないと言う。汚い言葉を使う親の子供はやはり同じように汚い言葉を使う。
自分の子育てはどうだったのかと、反省もするが、今、サークルのメンバーや娘夫婦、息子、孫、会社では新人部下と年齢を大きく隔てたものと、沢山の会話を楽しんでいる。gakidasも51号になり、自分の年齢に並んだ。今は51歳の51歳にしか出せない自分を大事に、より多くの『愛情』と言う会話を楽しみたい。
No.88 - 2006/10/29(Sun) 23:27:45
今そこにある危機 / gaki
 gakidasを書き出したのは2005年2月からで、ちょうど20ヶ月目になる。キリがいいのは今回で50編目の投稿で、月平均2.5回、1回800字で40000字、原稿用紙にすれば100枚と言うところか?。別に字数や、量が問題になるわけではないが、たまに読み返してみるとその時々の心の起伏が面白い。
 仕事の事、サークルの事、孫の事や、子供の事。文字にするということは、自分の考え方や思いが整理でき、まるでその時々を写真に残したかのように蘇えり、心に焼き付いていく。

 今、世界できな臭い出来事が起っている。このgakidasでも何度か投稿しているが、60年以上戦争をしなかった国は、日本を含め数えるしかない事実を誇り、これからも子供たちや孫にも絶対体験させたくない事として願い、語っていた矢先の出来事である。

 テレビでも、隣国の行為をこれ見よがしに、タカ派的発言を容認しているかのようにさえ見えてしまう。憲法9条は過去の過ちを決して繰り返さないと、悲惨な体験をした国民総意の合言葉とgakiは認識してきた。

 矛盾だらけの、曖昧な、優柔不断な国民性の中で、これほど分かりやすく、信念に満ちた文言は他に見たことが無い。
 いかに60年前の戦争が悲惨で、全国民を巻き添えにした物であったかを如実に語っている証の『合言葉』と言える。

 gakidas50号を投稿するに当たり、何を語ろうかと思ったとき、今そこにある危機、それは隣国の暴挙ではなく、過去の過ちを再び繰り返そうとしている人間の愚かさに在ると言いたい。
 このgakidasでいわゆる政治的発言やテーマは控えてきたが、政治的思想ではなく、人間の幸せと、子供たちや、孫達の幸せを願う時、ごくごく自然な感性で戦争へのシナリオは決して誰も書いてはいけないと思う。
 
 60数年前、今の隣国と同じように経済封鎖をうけ、崇高な使命の下、真珠湾に攻撃を仕掛けたわが国と同じとは言わないが、大きな世界が見えず、自国の利益と繁栄のみに陶酔してしまうと大きな過ちを犯してしまうのだと危惧する。

 今回のgakigasについては考え方の賛否があると思っている。サークルの1コーナーで言い切る内容で無いかも知れない。でも、今のgakiの心に焼き付けるべき重要な1ページとして語りたい。
No.87 - 2006/10/12(Thu) 01:20:18
心の充電 / gaki
 仕事が忙しくしばらく『gakidas』から離れていたが、久しぶりに文章を書きたくなった。
 ドレミにも1ヶ月位顔も出せず、ご無沙汰状態だったが、仕事の切れ目がまるでご褒美のようなスケジュールで、キャンプに参加する事が出来た。
 携帯電話を握り締め、いつベルが鳴るかと不安を抱き、鳴らないでくれと祈りながらの心休まらぬ出発となった。
 
 ドレミのキャンプは、gakiが色々と1から9(?)まで段取りをしないと、まわらないと思っていたのに、必要な物は全てそろい、『gakiさんが自分で座る椅子位、準備してね』と言われ、二人分の椅子を引っ張りだして来る・・・。買出しも順調に進み、配車も終わり、助手席にゆっくりと座らせてもらった。
 スケジュールは事前に知らされてはいたが、きっちりと把握出来ていなく、いつもと違うルートに戸惑い、宿泊地ではない場所に到着し、今からのイベントを恐る恐る聞いてみる。
 今年は少し趣向を変え、アスレッチックやサイクルモノレール、木工教室、ETC・・・それぞれ遊んでから、ロッジに入ることになっていたらしい。
元気な若者は果敢にアスレッチック挑み、gaki夫婦はゆっくりと空中サイクルモノレールを楽しみ、みんなが帰ってくるまでの小1時間をまるで、貪るかのように木陰で昼寝を満喫した。

 昨日までの忙しさが嘘のような緑の中、ゆったりとした忙しさが心地よい。ターフを張り、墨に火を付け、食材が次々と準備されていく。キンキンに冷えた生ビールのガスをセットしていると、冷え加減の試し飲みで7リットルが軽くなっていく。

 一夜明け、朝食も終わりゆっくりとしていると、ロッジにおいてあった一冊の本をメンバーが紹介してくれた。『50代からは、捨てて勝つ』木村政雄 著
である。ここ暫らく、退職者のことを『gakidas』で書いたり、『掲示版』にもカキコンでいたので、それなりに気を遣っていてくれたらしい?。この本の中味を知っての紹介ではなかったとは思うが、パラパラとページを繰ってみると、チョット引き込まれる物があった。『ロッジ』には申し訳ないと思いながら、無断で貸し出しさせてもらう事にした(ごめんなさい、必ず返却します)

 この休暇中も働いている部下からは、SOSの携帯電話は無情にも鳴り続けた。でもそんな中でのつかの間の休息ではあったが、充分自然の中で満喫できたと思っている。 木村政雄の生き方にも共感しながら・・・・・。
No.86 - 2006/09/30(Sat) 10:41:16
辞表 / gaki
 ドラマで『辞表』なるものを見たことはあるが、実際に仕事をしている上で『辞表』と言うものを受け取ったのは今回が初めてである。

 人が今の仕事をやめようと決意するのはどんな時なのだろう・・・。3年前我社はリストラを行い、gaki自身も真剣に人生設計を考え直したのは事実である。そして、こんなにも真剣に自分の人生を振り返り悩み、『ヤッパリ自分の好きなこの会社でもう一度一暴れしたい』と思い、リストラの波に飲まれることなく、自分のやりたい、自分が人に自慢できる仕事をする場所はここにしかない、とそう思えたのは幸せな事かも知れないと思う。・・そして再編に賭けた。

 会社再編を行い、3年目を迎えている。何処の企業も3年目が試練の時などと言っているが、まさしくその渦中にいると言ってよい。
 確実に現実として人員が減り、その中で旧会社と同じ生産量を維持、プラスアルファーを3年間確保できたのは奇跡と言っても良いと思っている。

 残った人達は、決して赤字会社にしないと、gaki同様?強い意思の下、会社再編に賭けたのだと信じて来た。去って行った人達の今の生活を目の当たりにする訳ではないが、残った者の一定の給料と、保障された残業代、休日出勤と言えど保障された代休、業績配分の年2回の賞与を受け取れる社員はやはりありがたいと思える。
 
 そんな中にいながらも、先の見えない長時間労働、再編前の仲間と同等でない親会社へ行った者との上下関係、営業、設計を譲渡した、親会社との従属的関係、人員削減の中での『出来て当たり前』の報われない勤務評価。数え上げたら限が無い再編後の歪な会社方針。

 企業は営利目的で経営を進める。これはごく自然な事で、それにより従業員は豊かな生活が出来る。以前に仕事の面白さは、ケラケラと笑える面白さではないと書いた記憶があるが、正にその通りでその考えに変わりは無い。ミッションをやり遂げた達成感や、顧客に心からその出来栄えに感謝された時、子供たちに、自分の仕事を誇らしげに語れる自分がそこにある面白さをたくさん経験させてもらい、今の自分があることに感謝している。

 辞表を出した部下からは、多くを聞き取る事は出来なかったが、仕事の面白さも、再編に賭けた情熱も、gakiの思いと何一つ違うところは無かった。
失礼ながら、ただ、自分で変えようと言う思い以外は。          
No.85 - 2006/08/24(Thu) 01:26:14
カッコイイッて? / gaki
 『かっこいい』って何だろう?・・・。6月18日、高槻の『街角アットホームコンサート』。我サークルドレミを含め10バンドが出演したその中で、15分と言う短い出演時間をメイッパイ使い、会場を引き込み、若干二十歳位かなと思える『中村 達紀』と言う若者に魅了されたステージを目の当たりにした。(少なくともgakiを含めドレミのメンバーはそう思ったと思う)

 彼はまさしく『かっこよく』ステージに臨むべくテンションを上げ、自分を表現し、あっという間の15分間で、会場全員を自分の世界に引きずり込んだ。

 ある雑誌で、『オートバイのエンジンって、力強くてカッコイイ。でもあれは飾りじゃなくて必要な形なんだ』『飛行機の形はデザインだけじゃなく、構造上必要な形なんだ』と書いてあった。
 必要で洗練された形や中身は美しく『かっこいい』のだと・・・・・。

 まさしくそのとおりで、鍛え上げられた体や心もやはりカッコイイのだ。同様に自分を表現し、歌詞の中身や思いを真剣に、一生懸命伝えようとする姿も人の心を動かしカッコイイのだ。

『中村君』はパフォーマンスで(社交辞令かもしれないが)『かっこよかったぜサークルドレミ』と紹介してくれた。
 今のドレミは本当に『かっこいい』のだろうか・・・。かっこいいと自分で思えるのだろうか?

 話は飛ぶが、サッカーの『中田 英寿』が突然の引退表明を行った。今の日本のサッカーレベルを評価しながらも『自分達の力を100%出す術を知らなかったこと。それに気づいてもらおうとしたが上手に伝えられなかった事。』『なにも伝えられないまま去っていく事』そんなことを危惧し、その半面で自分を理解し励ましてくれたみんなが日本のサッカーの将来を支えてくれると信じると括り、その声がこれからの自分の人生の糧になると言っている。
 そんな中田の引退をカッコイイと言う人もいれば、もったいないと言う人も居る。

 gakiはどちらでもない。ドレミは35年以上自分達の思いを歌い伝え続けて来たと信じている。『中田』が現役選手として引退すると言う事と、これからどんな関わりをするのかとは違うし分からないが、長くサークルの意思を伝え続け、歌を愛し、歌い続ける『ドレミ』は『かっこいい』と胸を張れる。
No.84 - 2006/07/15(Sat) 01:31:53
我が家改装計画 / gaki
 今の我が家を新築したのは1992年、今から14年も前になる。子供たちはまだ小学生だったのか・・・。
 新築した当初から、2つの子供部屋は将来的に、孫や娘・息子夫婦が泊まれる和室に改造する予定で強度計算された造りにしていた。
 今年5月から14年前の計画をスタートさせた・・。長女は既に結婚し、孫も出来。長男は4月から社会人としてスタートを切った。

 14年間子供達が使っていた部屋を片付けていると、色んな想い出の品々が出てくる。『部屋に残っている物は、全て処分していいよ』と子供達に言われているが、とても『エイヤー』と処分できるはずも無い。
 幼な心に、しっかりと握り締めていたお守りや、添い寝のキャラクター、当時の人生観だったかもしれないゲームソフト。友達同士のプリクラや旅行の写真。修学旅行のお土産と思しきキーホルダー。そんな物が無造作に放置されている。何度尋ねても『いらない』の返答に聊か閉口するが、結局、屋根裏部屋の収納スペースを圧迫する事に落ち着く。

 京都の実家に帰ると、『博文の好きなサンルームを造ったよ』だとか、『2Fを改装したよ』とか、バイタリティー溢れるお袋が色々イベントを計画し、楽しませてくれる。正直嬉しい反面、年金生活の両親に負担を掛けさせたくない一抹の心苦しさと、いつまでたっても子供で、甘えられる嬉しさと・・・・。

 gaki家にはgakiが小学4年生まで家に風呂が無かった。夕方、近所の友達連中と近くの銭湯に通っていたが、或る日突然、我が家に内風呂が出現した。これもお袋の大胆な、独善の計画で、家族一同(親父も含め)驚愕したが、これもお袋のキャラクターと皆が納得した。(納得せざるを得なかった)

 我が家の改装計画も、言わばお袋のDNAを受け継いだ『gaki』の性なのかも知れないが、今は充分二人の楽しみになっている。

 何時の時代になっても親の子供に対して出来る事は少なく、社会人になれば自立し、そして自分の人生を歩めば良いとgakiは思っているし、お袋もそうだろうと思う。(それを寂しいとは思いたくない)そんな中でお互いスパイスを効かせ、楽しみを共有する。その努力に微塵の苦労も感じさせないお袋の生き方に敬服する。
 改装された我が家で、孫の『瑠唯』が走り回る姿は、お袋が見たgakiの娘や息子が実家で走り回った姿と同じなのか・・・。
No.83 - 2006/07/03(Mon) 00:28:48
息子の独立 / gaki
 1980年3月30日gaki家が発足した。幸いにも長女、長男の2子を授かり、大きなトラブルも無く、長女は22歳で就職、24歳で結婚。長男も22歳で就職が決まり社会人としてこの4月よりスタートを切った。
 gaki家が発足し26年、2006年は新たな歴史のスタートの年となった。

 gakiは18歳で実家京都から大阪に就職し、夜間大学に通学させてもらう為に、会社の寮に入れさせてもらった。高校時代の気楽な自由奔放な生活から慣れない寮生活、アルバイトでは無い社員としての責任、仕事を終えてからの通学、親元で何不自由無い生活から一変して、太り気味だった体型から、すぐに引き締った家具職人の体型になるのに時間は掛からなかった。

 18歳から24歳までで構成される『寮』は、九州、四国、中部地区と、様々な地方からの出身者の集合体で、先輩、後輩の規律も厳しい反面、男社会としての面白さや、若者特有のエネルギー、そんな物を体感し、大げさに言えば青春期の基礎、社会生活の基礎を学んだような気さえする。

 高校の同窓会に参加したときに、『谷垣お前変わったな?』と当時付きあいの無かった『ワル』連中が親しげに声を掛けてくれた。『寮』の生活をベースにした『社会感』。『営業職』、『プロジェクト』そんな環境が当時の『ワル』達に怖じないgakiを育ててくれたのだろうと思った。

 『社会人になれば、独立しろ』がgakiのモットーである。長女も長男も一人暮らしを就職と期を同じくして始めた。
 長男に於いては、半ば強制的と思えるほどの、本人希望の独立ではないようにも思えた。
 引越しの当日、何とか都合が付き、会社を休んで手伝いをしてやろうと声を掛けたが、『いらない』の一言。ひるむわけも行かず、チョコチョコと差しさわりの無い段取りを進める・・・。引越しがほぼ終わり新居に行くと、まだ片付いていない部屋で、『ここはこうしたい』『こんな家具を置きたいと思っている』『ここはどうしようか』など嬉しそうに話してくれ、最後に手伝いのお礼を恥ずかしそうに言ってくれた。

 親元を離れ独立させる事の賛否はいろいろあると思う。しかし、人間として自分で計画し、自分で判断し、自分で結論を出す。その過程で色んな人の意見、考え方を聞き出し、話をする事によって、その人から、経験を『貰う』。一人暮らしを経験する事によって色んなことがきっと見えてくると信じている。
 
 gakiの我がままかも知れないが、親子の距離は遠過ぎず、近過ぎず、それが一番良いと思っているし、実践したい。
No.82 - 2006/06/25(Sun) 23:58:20
かっこいいドレミ / gaki
1992年11月22日。とある合唱形式によるコンクール『地域の部』に於いて全国1位になった事を賞する賞状がある。もちろん『ドレミ』の名がそこに記されている。
 そもそも『ドレミ』は雑居都市、大阪の寝屋川市で推定35年前に産声を上げた。集団就職のさなか、各地から都会に憧れた若者がひしめき合っていたと言って良い位、多くの若者がたむろしていた。彼女が欲しい、ギターが弾きたい、思いっきり大きな声で歌いたい。彼らはそれぞれの工場が5時に終わると集まり、ギター1本で思い思いの青春ソングを歌っていたのだろう。ハイキングやフォークダンス。70年代の楽しげなレクレーションの記録が今も残っている。
 
 gakiが入会した当時、レクレーション中心派から、音楽中心派へ移行しはじめていた時期で、総会で音楽中心を選択した『ドレミ』の決定に約半数の会員が退会して行く様を、訳の分からないまま体験する事になった。

 入会して間もない時期に、『ドレミ』内で革命が起こり、相変わらずギター1本で青春ソングを歌っている事には何の代わりも無く、あちらこちらで開催されるコンクールに出演して、頂く評価はいつも『アットホーム』『楽しそうで良いわね』とお決まりのコメントの最後は最下位の評価。
『アットホーム』の評価の裏にはどうしようもない音楽的レベルの壁があり、やはり結局はレクレーションサークルから脱皮していない現実が歴然とあった。

そんな時、一人の若者がドレミのイベントの参加してくれた。初対面と言うのに打ち上げまで参加してくれ、事もあろうか、gaki宅まで・・・・。

『かっこいいドレミ』が彼の口癖だった。そういえば、はっきり言って、『暗い、ダサい、かっこ悪い』。なぜ彼がそんなドレミに興味を覚えたのか未だに謎ではあるが、『かっこいいドレミで日本一になろう』そんな事を連日、深夜、朝日が昇るまで話し込んだ。

本気になって1年目、全国2位になった。そして翌年には念願を果たした。その過程で彼と約束したことがあった。それは『無冠の帝王』
全国1位は目的とはしない。たとえ1位になってもそこに金字塔は建てない。ドレミの目的はそれを目的としないと決めた。
今あえてこの話をしたい。6月18日、高槻のコンサートがある。確かに人数も減り、パワーだけでは押し切れない現実・・・。技術も技量も問われる・・・。
『かっこいいドレミ』それはいつも決して忘れてはいけないドレミの糧。
No.81 - 2006/06/04(Sun) 23:53:47
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