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gakidas

gakiの戯言です

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WINGBEAT COFFEE ROASTERS
らくがきちょう / gaki
 2003年4月スタートと表紙裏に日付を書いたのは3年前。幾度となく『らくがきちょう』は紛失の運命をたどって来た。この『らくがきちょう』はいったい何冊目だろうか?・・・。誰かの悪意で無くなった訳ではなく、それ程メンバーの移り変わりは激しい。この3年間を見ても残念ながらページを埋めてくれたメンバーの何人かはもう活動に参加していない現実がある。それが良いとか悪いとかそんなことを語る資格も無ければ、語る必要も無いと思っている。結成依頼それこそ100人単位の人達が『サークル ドレミ』を駆け巡り、人生を語り、人生に影響させ、泣き、笑い、葛藤もし、思い思いの『ドレミ感』を満喫して行った。
 
 『来る者拒まず、去る者追わず』これは、長く言い伝えられている一つのドレミ感ではあるが、その時々、まるで生き物のようにドレミは変貌し、成長と、衰退を繰り返し、姿を変えて来た。ただ変わらないのは、だれに教わったのか、万人に心を開き、独特のコミュニケーションを学びつつ・・・。その瞬間に熱い思いを傾けた者だけが、本当のドレミの魅力に飲み込まれ続けて来たのかもしれない。そんなことを思いながら、最後のページに向った。

 2003年4月スタートと書いたのは、この『らくがきちょう』が廻ってくるたびに、こころのどこかで、1年間無くならずにいてくれた、2年目も、3年目も、さいごのページが埋まるまで、どうかなくならないで欲しい。そんな思いを託しての落書きである。

 幸い、偶然と言おうか、奇跡と言おうか、最後のページを自分の文章で埋めることが出来た。ドレミの『らくがきちょう』史上、初めての快挙である。
 古い機関紙『つくしんぼ』を読み返すとき、記事の内容から、その時々の様子が蘇る。しかし、『らくがきちょう』で語った内容とは比べ物にならず、やはり紛失した痛手は計り知れない。もう一度タイムスリップして当時の思いや、考え方、『gaki節』。そんなものに触れてみたいと無いものねだり・・・。

 3年と言う月日は、本当にアット言う間に過ぎ去り、これから益々そのスピードは加速するのかもしれない。
 50歳を過ぎ、子供たちは独立し、孫も出来た。23歳で始めたこのドレミも今年で27年目を迎えた。
 
 この年で現役である事は想像もしていなかったが、この最後のページを締めくくり、新しい『らくがきちょう』に新しいgakiを綴り続けたい。
No.78 - 2006/05/27(Sat) 15:13:41

Re: らくがきちょう / ともりん
らくがき帳が紛失せずに最後のページまで書く事が出来たのは、らくがき帳担当者の努力のお陰でしょうね。ご苦労様です。
 さて、この落書き帳の保存場所ですが、いつも利用しているひろふみ屋にお願いしてはどうでしょうか?ぜひ店主と女将にお聞きしていただきたいのですが、、、。よろしくお願いします。
No.79 - 2006/06/02(Fri) 22:20:51

Re: らくがきちょう / ひろふみ屋店主
 当館、ひろふみ屋には結成当時の会計ノートや、とある合唱発表会の全国2位と優勝の賞状。市民合唱際のスナップ写真。ドレミ様ご利用のキャンプセット、クリスマスグッズ、パターゴルフ大会とボウリング大会のトロフィー等、資料館とまでは行きませんが数多く保存させて頂いております。
 今回完結した『らくがきちょう』をお預かり出来る事は誠に光栄に感じております。
 是非ともこちらからもお願いしたいと思います。
宜しくお願い致します。
No.80 - 2006/06/03(Sat) 09:23:12
我が家の宝物 / gaki
 gaki家に一つの宝物がある。厚みが3センチ以上ある1冊のB4サイズのファイル。500枚以上ある一番最初に綴じられている印刷物の日付は『1979年1月16日』タイトルは『つくしんぼNO16』と記されてる。27年前のその『つくしんぼ』は黄色く変色した、ガリ版刷りの更紙である。

 トップ記事は会長の新年の挨拶に始まり、会員の今年の抱負、昨年のクリスマス会の反省、感想。実行委員会の反省文に、『当日の参加者は68名』と書かれている。
随分とたくさんの人を集めたものだと感心しながら、ページをめくっていくと、当時のことが次々と写真を見ているかのように蘇り、時を忘れ紙面に吸い込まれていく。記事の中で若かりし頃の熱い『gaki節』を読み返すと初々しく、恥ずかしくさえなる。
          
 gakiが入会したのはまだこの3年前なので、残念ながら入会当時の記事は残ってはいないが、青春期から今日に至るまでの人生の記録のような物である。
 この間ドレミを何十人、いや、100人単位の人達が通り過ぎて行った。もちろん楽しい事ばかりではなく、嫌な事も、つらい出来事も・・・。
 そんな様々な想い出を、手垢で変色した表紙が包み込んでいるかのようである。

 今期、機関紙『つくしんぼ』の担当になった。20年ぶりの担当である。入会当時会長の家に行くと、謄写版(ガリ版)の印刷機が置いてあり、鉄筆で蝋(ろう)をコーティングした専用の紙をヤスリ状の版の上で『つくしんぼ』の原稿を書いていたのが、凄く印象に残っている。
 中学生の頃、学級新聞を作っていた時の事を思い出し、謄写版は公共の場にあるもので、個人の家にそのような物があることが凄く不思議だった。
 ガラスの上でローラー全体にインクが馴染むまで、ローラーで何回もインク伸ばし、苦労して書き上げた原稿の1枚目をしげしげと眺めている会長は、職人のような風格さえ感じたものだ。
 
 今、20年ぶりに『つくしんぼ5月号』を作り終えた。インクで手を汚す事も無く、ローラーで力を込め印刷する事も無く、パソコンという、万能マシンがレイアウトも思いのまま、みんなの『データー』として送ってくれた原稿を貼り付けてくれる。
 本当に便利になり、これからも色んな便利さが生み出されていくだろうけれど、いつまでも紙面に残る想い出と暖かさは便利さだけでは作れない。
No.74 - 2006/05/13(Sat) 10:52:59

Re: 我が家の宝物 / ともりん
 我が家(高木家)にも同じく『つくしんぼ』が残っています。1番古いものは1987年4月号です。そして5月号にはニューフェイス中谷智美が載っていました。以前は毎月『つくしんぼ』を発行していましたね。それも全部手書きで・・・・。
 なぜかウチにはもう一つ「運営会議ニュース」が残っています。1番古いものは1987年です。すべて残っているわけではありませんが、どうしてこんな物を残しているのかわかりません。見る事はないですもんね。
 ガキさんは運営会議ニュースは処分しましたか?
 ただ1度だけこの運営会議ニュース、役に立った事(人に貸した事)があります。しかし、その人にとって役立ったかどうかは疑問です。
 この古紙、、どうしたら良いでしょうか??
No.76 - 2006/05/26(Fri) 17:38:26

Re: 我が家の宝物 / gakidas
 公民館でガリバーに合いました。久しぶりに想い出話と、『つくしんぼ』の発送方法や、切手の送り先など話し、紙面を見て懐かしく思ってくれたようです。『とら』からはカキコミが届き、『しずかちゃん』からは、はがきが届きました。いずれもドレミが元気に活動している事を喜んでくれ、又エールを貰ったと思える内容です。
 ニュースも大切な記録です。gaki家には全て残っていませんが、『古紙』などと言わず、大切に保存して下さい。
 現存のらくがきちょうの最後のページを埋める事が出来ました。gakidasでも紹介したいと思っています。『らくがきちょう』も大切な宝物です。次編の完結も楽しみです。
No.77 - 2006/05/26(Fri) 23:37:32
怒るな叱れ / gaki
『怒るな、叱れ』これはgakiの基本的な心情である。ドレミのメンバーからは、『gakiさん、何きれい事言ってんの』と何度となく言われ続けてきた。
 しかし『怒る』と言うことは、自分の感情をむき出しにし、理性を無くし、本能の赴くまま、犬でも畜生でも出来る事と思っている。そこには自我しかなく、他人を思いやる気持ちも、問題を解決しようと言う、発展的な思いも教育的配慮も何も無い。
 一方、『叱る』と言う事は、論理的に問題を見つけ出し、その問題解決に向け教育的配慮の中、悟し、更生を促し、人間のみが行える教育プログラムと思ってきた。
 
 今まで崇高な使命の下、沢山の人を『叱って』来たつもりでいた・・・・。よくよく考えてみると、本当に自分の体に火が付いている時、論理的に『どの角度から水をかければ一番効率的に火が消えるかな』なんて思いながら、火事場で水をかける人はいないと思う。それこそ必死にのた打ち回り、本能の赴くままに池に飛び込むだろう。そう思った時に、今まで本当に、切羽詰った自分の事と真剣に物事をとらまえ『叱って』来たのだろうかと疑問に思うようになった。

 今日、仕事上で大きな問題が起こった。以前から問題視されていた、言わば会社の体質のような事で、その事については殆どのものが認識しているはずの、今年の撲滅スローガンにしていた問題点を、あざ笑うかの様なミスであり、又沢山の時間を費やし、会議も開き、どうすれば解決できるかと話し合ってきた矢先の事である。

結局、体質は何も改善されていなく、個人のミスを全体の問題と考えられず、その事が何千万円の損失を出すことだと理解されていなかった事の残念さと、自分の指導不足と力の無さに言いようの無い『怒り』がこみ上げてきた。
 gakiの怒りは個人に罵声を浴びせる物ではなかったが、何度もドレミのメンバーに『きれい事』と言われてきたことが脳裏をかすめると同時に、その場で大声を上げていた。

 感情をむき出し、怒りをあらわにし、叱るのではなく『怒る』事は、犬や畜生のやることではなく、怒りは時には人の心を動かし、又人間として当たり前の、そして人間だからこそ出来る教育だと周りの反応が教えてくれた。
 やさしさだけの『叱り』だけで生きていけるはずも無く、大声で怒っている自分も人間らしくて好きになった。
No.75 - 2006/05/20(Sat) 00:13:38
新人に託す / gaki
3月25日からの久しぶりの投稿である。今年に入って好調に書き進めてきた『gakidas』も幾ばくかのスランプと言うか、仕事に追われじっくりと戯言を語る余裕さえ失って来たかのようである。
 先日新入生の歓迎会と、定年退職を迎えられた方のご苦労さん会を催した。参加率はgakiの予想に反して95%を超え、席の確保に苦慮すると言う嬉しい悲鳴に、自分なりにその参加率の高さに満足している。忘年会しかり、主催はgakiの裁量とわきまえ、少しでも会を催す意味を知って貰いたいと案内状にも熱が入る。gaki節だけで部下が動くとは思えないが、管理職の職務は気遣いから始まるのかも知れないと改めて肝に命じる。

 今の会社は再編成後営業を親会社に譲渡し、親会社専属工場として、その存在意義を保っている。我社は親会社の求めるクオリティーを必ず達成できる『何処にも負けない企業体』で無ければならない。そんな専属製造工場としての責務がある。しかし残念ながら再編に依る有能人材流出、職人の退社、致命的な人員不足、特に管理能力の欠落、シンクタンクの欠落と言わざるを得ない状況に在る。

 難しい、経営論とgakiの愚痴は置いとくとして、今度の新入生にgakiは大いなる期待を寄せている。歓迎会の席上で彼は『お爺さんが【戦艦大和】を造る仕事をしていた。子供の頃からお爺さんのその話を聞いて、自分も物造りをする仕事がしたいと思っていた。』と話してくれた。彼には今データー管理、(工場進捗管理、工数管理、生産計画など)の仕事をしてもらっている。直接の物造りではなく、パソコン相手のデーター管理である。もちろん1ヶ月工場研修も行い少しではあるが現場も経験させた。面接の時に『エクセル上級』の履歴と『文書整理能力』にgakiは高い関心と可能性を感じ臨時採用に踏み切った。

人が物を決める時、たくさんの自らの苦い経験と、自分が培ってきた頼りない思いと、先輩からの有り難いアドバイスと、悪友からの役に立たないイイカゲンな熱いメッセージと、しかし何より最後は自分の信念で決断を下すべきと思っている。
 彼の採用に依る効果はまだまだ未知数ではあるが、『1日24時間が最近とても短く感じられます』と嬉しそうに夜遅くの残業時間に大きなデーターを見せながら、彼が話しかけてくれたその言葉は今一番嬉しい言葉である。 
 まだ3ヶ月足らずの新人には、経営理論から、経営戦略に至るまで話している。スポンジのような彼の吸収力はgakiのプランを更に具体化してくれる頼もしい『シンクタンク』である。
No.73 - 2006/04/17(Mon) 00:32:27
酔えば酔うほどに / gaki
gakidasを書き出してもう1年以上になる。今までに書いた文面をシラフの時に時折読み返して見ると、ちょっとは論理的に語れているのかな、なんて自我自賛?*#&!・・・。実はgakidasスタート時点から、『gakiの戯言』と銘打って始めたこのコーナーはどれもシラフ状態での文章ではなく、一杯ひっかけての文面で、それもかなり酔っ払った状態での作文である。眠気眼で朝読み返して見るとチョット可笑しな文面もあるが、脳が開放されgaki本来の本音が語られていると言っても過言ではない文面を読み返す事になる。

 PCが無かった時代には、酔っ払って文章を手書きすると、ミミズが這った様な、小学生よりひどく、読み辛い文面を提供する事になり、説得力も無く、ともすれば人格さえも疑われるような文章になってしまうのがイヤで、殆ど手紙や残る文面を書く事は無かった。

 今、PCなる道具が出来、酔っ払いの戯言を文章で残す事が出来るようになり、本当に感謝している。
 脳が開放され、深層心理から、夢に至るまで読み返して分かるが、嘘も無く、本当に正直に書き綴っていると自信を持って公表できる文面と思っている。
 
 ただ、読み返して思うのは、戯言と言いつつかなり真面目な文面で、とても酔っ払いの戯言とは思えないウイットを感じない硬い小論文になってしまっていることに聊か閉口してしまう。
 『酔えば酔うほどシラフに近づく』といった事があるが、これは事実で、酔った勢いで馬鹿が出来、支離滅裂な言動を吐き、お調子者の無責任な行動が取れる人が羨ましくさえ思う事がある。
 時にはそんな馬鹿をしてみたいと深酒をしてみるが、吐き気を催す瞬間まで論理的に熱く語り、周りを巻き込んで熱弁している自分がそこにある・・・。
 
 ある著書を立ち読みしていると、『人生多いに愚痴り、その分前向きに生きろ』と言う文面を目にした。『女房を叱れない旦那は管理職になれない』と言う文面も気になった。(文面の解釈はそれぞれで・・・)
 
 gakiはあくまでgakiであり、お調子者になることも無く、酔った勢いで不必要な馬鹿になる必要も無く、たまには愚痴り、弱音も吐き、女房には仕事の話ばかりではなく、もっともっと人生観や孫の事を語り、『gakidas』では、酔った勢いで深層心理にあるgaki本来の夢や希望をこれからも熱く語り続けることが、今の生き方として・・。そして又、それしか出来ない不器用者である。
No.72 - 2006/03/25(Sat) 02:07:17
生誕半年の孫を見て / gaki
 3月11日、孫の『瑠唯』が生誕してちょうど半年が経過した。夫婦そろって我が家に、もちろん『瑠唯』同伴でやって来る。
 『昼から帰る』のメッセージに合わせ、仕事を切り上げ帰宅すると、玄関にはベビーカーが置かれ、ドアーを開けると『あー、うー、ぶじゅぶじゅ・・・』と日本語では無いが確かに『瑠唯』の話し声が聞こえる。顔立ちもしっかりし、満面の笑顔で得意の寝返りを見せてくれる。時折泣いてやろうかと、曇った表情を見せるが、抱きかかえると8kgの体重は嬉しい重さである。

 おじいちゃんの任務とばかりに風呂に入れてやると、知恵も付いたのか、状況の違いを察知して一変して泣きじゃくり。天使が悪魔に変身したかのような、湯船で蹴りの応酬をナンパツも受ける・・。まるでgakiがいじめているかのような錯覚を覚え、しばらく一緒の入浴は封印する事とした。

 我が娘は生後8ヶ月で、キャンプに連れて行った。息子は10ヶ月で、テントのキャンプに連れて行った。今思えば随分無茶をした物だと今更ながら反省もする。今日風呂に入れるだけで四苦八苦している、今の孫の状態から2ヶ月後のキャンプはどう見ても実行不可能なミッションと思える。しかし当事は自分の基準が全てで、多分老婆心のお節介は全て却下しただろうし、実際にキャンプは実行した。
 結果、直射日光に耐えられなかったのは生後8ヶ月の娘ではなく、その母親で、近くの病院で処置を受け、事無を得た。

 そんな事を話しながら、娘の生後6ヶ月の声を録音したテープを見つけた。再生してみると、雑音はひどいがまるで昨日録音したかのような娘の(母親の)声が、今の『瑠唯』の言葉と24年の年月を越え重なる。
 今でこそ、DVDやVHSなど記録装置が当たり前のように普及し、これから24年先であれ、100年先でも鮮明なデジタル化された映像は、それこそ当たり前に観られるのだろう。
 当事の技術水準であるカッセトテープは今再生する事も段々難しくなり、レコードにおいては、一般的には再生不可能になってしまった。
 どんどんと世の中は進化し、そのスピードは更に加速している。確かに便利には成ったが、その分確実に仕事量も増え、本来の目的である進歩による余裕も、その仕事量に圧迫されているかのように思える。

ひ孫の時代にはDVDの『瑠唯』の映像とフォノグラフィーのような立体映像とが、重なっているのかもしれない。そんないつまでも平和な世界であって欲しい・・。
No.71 - 2006/03/12(Sun) 17:17:23
弟にエール / gaki
新しい会社の年度を迎えるにあたり、色々と新しいプランを考える事になる。今までの矛盾や不備を是正し、新しい組織作りを模索したり、人員配置、個々人の担当業務の整理や割り振り。作業環境や設備の適正など・・・。

 そんな事を考えているときに久々に弟に会った。お互い若い頃は会えば深夜に及ぶ議論を交わしていた。人生観も違えば、思想も違う。生き方それ自身が違うと言っていいほど考え方が違う弟である。
 最初は軽いジャブから始まり、ビールの栓が抜かれるたびにお互いの自己主張が花開く。議論の為の議論が延々と、お互い一歩も引かない主張と言うべきかこじつけと言うか、白々と窓越しに朝の光を感じる時間まで白熱した議論は続く。
 周りは気遣い、あきれ果て、一大事が起こらぬよう祈りながら床に就くといった状況であった。(当人らは周りの心配をよそに、あっけらかんと何事も無かったかのように翌朝、顔を合わす)

 久々に会った弟はもちろんシラフで、何気なく今のgakiの仕事の話を、最初に書いたような事を世間話として車の中で軽く話していた。

 実は、弟は独立しPC関係の仕事をしており、以前から手伝ってもらえる事があればお願いしようと思っていた矢先の偶然のコンタクトであった。

 その道のプロである弟は、今のgakiの会社のシステム的マイナス面を感知し、お節介にもアドバイスをくれる。
 早速見積もりが届き、gakiと同じ名前の見積書の説明を上司にし、快く笑顔で判を押してくれた上司の理解力と寛容性に感謝している。

 約束の期日にPCが運び込まれ、gakiと同じような風体の弟が社内でセッティングを進めていく・・・。関係者はgakiの身内と知ってか、幾ばくかgakiを含め対応がぎこちない・・・。
 
 兄弟というのは本当に不思議な物である。母の教えである『自立』を基礎にし、思想や、人生観、生き様が違えども『弟』の今回の対応は小気味良く、自信を持って仕事上推薦できる業者と思えた。
 悪たれを叩くも良し、自己主張はさらに良し、自信と実績が自分の人生を造るといっても過言で無いと、今の『弟』にエールを送りたい。
No.70 - 2006/03/04(Sat) 01:03:12
同窓会に参加して / gaki
今年で27回目を迎えた、とある合唱団の研究生の同窓会に出席した。毎年この時期に開催しているが、仕事が忙しく参加出来なくて、やっとの思い出で4年ぶりの参加である。当時23歳で研究生の門を叩き、たった8ヶ月間と言う短い期間、本当に寝食を共にした24人のメンバーと一緒に、自治会長としてもgakiが青春や情熱を確かに注ぎ込んだ場所である。 

合唱の基礎から、コーリュウブンゲンや発声法、指揮法、民謡や、和太鼓、ダンス、リズムレッスンを学び、個人発表、クリスマス会や、花見や、キャンプ等のレクレーションも企画した。お寺で合宿をしての修了演奏会の企画。たくさんのプロセスを踏み、葛藤もし、府立労働会館の大ホールを自分達の手で満席にした自信は今も揺るがない。当日舞台リハの最中に、しばらく休んでいたメンバーが客席から舞台に駆け上がり、励ましのエールを送ってくれたドラマチックなシーンは今でも忘れられない。そして舞台の緊張感とその麻薬的な面白さもこの演奏会で知った。
  
 当時23歳だったgakiはそのメンバーでは特に若くも無く、年寄りでもなかった。みんな同じような就職して間もない若者だった。
 でも、27年も経てばみんな50歳(40歳代を含め)を過ぎ、話題は老後の心配や、関心事は退職金の利率や年金、いつまで仕事を続けようか?など当時の情熱や、発展的な話題は期待できない。
 
 同窓会でこれから何かを始めようなんて、発展的な話やプランは必要ではないと思う。当時を懐かしみ、時には淡い想い出話に花が咲く。27年間も続いているのは、青春の1ページを共に必死に駆け抜けた共通項を確かな物として感じあえる、そのメンバーが今年も集まれた。年に1回とは言え、会えば当事の記憶やエネルギーが蘇る。gakiがギターを持っていかなかった事を残念そうに語ってくれたその言葉は、自分自身の心の緩みの反省と共に、来年は絶対にギターで歌おうと心に刻ませた。
 
 ドレミと同じように研究生のメンバーは、仕事も生活環境もばらばらである。
考え方や、生活スタイル、どれ一つをとっても同じものは無い。でも同じ目標で何かを成し遂げ、そこに向った情熱や思いを語る時、今のドレミや、研究生、仕事に於いても共通する熱いものを感じる事が出来る。

想い出は単なる心のよりどころではなく、青春の熱い心は大人になっても消える事は無く、明日の自信へとつながると信じている。
No.69 - 2006/02/19(Sun) 23:44:48
交渉はバトル / gaki
9年前に取得したパスポートが当たり前だが来年効力を失う。スタンプを数えると、所狭しと色取り取りのカラフルな、異国情緒タップリの出入国の思い出が捺印されている。時にはカリマンタン島の煙害でフライトが出来ず、空港でひたすらフライトを待ち続けた、そんな出張もあった。有視界飛行など今のハイテク時代に想像も出来ない目視の手動着陸に、搭乗員も含め乗客が着陸の成功に歓喜の拍手を送るという、信じがたい着陸も経験した。
  
 今回は13回目になる上海の出張である。中国の工場に対しての製品上のクレームの説明と、クレームを認めさせ、無償で全て作り変えを指示する、気弱?なgakiがもっとも不得意とする交渉に挑んだ。
声高々に自分の責任を回避、正当性を不条理と思える程、当たり前に論理付ける中国側に対し、理路整然と問題点を明確にし、問題の原因を示し、議事録や指示書を提示し、まるで裁判のような交渉を展開する。

 シタタカ?な中国人に負ける訳にも行かず。交渉下手と言われる日本人になる訳も行かず・・・。自分の主張を強行と思えるほど1歩も引かず主張した。
 交渉下手と言われるゆえんは発注価格感覚にあり、日本では対中国発注額100.000円に対し100円のリスクはたいした金額ではなく、ともすればどうでも良い金額に成ってしまう。でも、駄目な物は駄目であり,そこには妥協を求めてはいけないと思う。

 金銭感覚の違いで安易に許容できるはずも無く、指導している意味も無くなる。そんなことを思いながら、さらに交渉を進めた。
 現場の職人さんとも問題点、クレームの発生原因、型板や、現場の指示書も見せてもらい、工程のチェックも行った。

 そこで見えてきた物は、物作りの本質と言うべき、顧客の満足する物を、オールマイティーに作り上げるという事は何かを作り手に伝えられてきたか?。伝えているのか?。以前にも書いたが、伝統工芸品ではない工業製品を作るということ。きっちりとした曖昧でない具体的な製作指導の責任はどうだったのか、よい物を作るというプロ意識。そんなものを強く感じ、意識し、反省もあった。

 中国の製造会社に、メンタル面を含め、たくさんの要望を行った。ある面、家族的な付き合いとは裏腹に、厳しさと、製品感覚、生活環境感覚をも含め、厳しいことも話した。・・・来年更新するパスポートは、さらにそのスタンプの数を増やし続け、又様々なドラマを綴り続けると確信した。
No.68 - 2006/02/11(Sat) 01:56:11
ドレミのたすき / gaki
 駅伝の『たすき』の話は、よくいろんなたとえ話で語られます。自分の任された区間を精一杯走りぬき、次の区間の走者との距離を少しでもあけ引き継ぐ。次の区間をたくされた走者は汗で重たくなった『たすき』を受け継ぐ。
そして又、自分の責任を果たし、さらに汗で重たくなった『たすき』を次の走者に託す。
 人生においても、チョットした出来事でも、この『たすき』リレーは僕たちの日常で繰り広げられていると思います。

 我ドレミでも同じように『たすき』リレーは結成当時から脈々と受け継がれています。
 でもドレミの『たすき』は選手権の最強選抜メンバーが担っているわけではありません。特別選ばれたメンバーでも無くその瞬間、になえるメンバーが自主的に受け継いでいるのだと思います。
 ドレミは自主的に運営され、自らの意思で運営し活動しています。仕事のように強制力も無ければ、命令をされる事もありません。あるのは自分の気に入った大好きなドレミが元気に生きていると実感できる事。そんなことかなと思います。

 『仕事が忙しく参加できない』『家庭の事情で・・・』『子育てが忙しく・・・』
『体調が思わしくない』
 人生、生活、仕事、健康、悩み、生きていれば色んなトラブル、プレッシャーに出くわします。長い人生の中で、ずっと何のトラブルも無くドレミに参加する事も、『たすき』を担い続ける事も不可能に近いと思います。

 現に、gakiは仕事の都合で、3年間と言うブランクを経験しました。現役に復活できそうなとき、『蹉跎公民館祭り』のステージの客席に居るgakiを暖かく舞台に迎えてくれたメンバーの優しさと、寛容さを今でも忘れる事は出来ません。練習も出来ていなく、この舞台の為に一生懸命練習してきたメンバーに混じることの抵抗感は『一緒にうたお』の一言できれいに飛んで行きました。

 ドレミの『たすき』は自分が担い続けなければと意気込み、いつもみんなが自分と同じ温度でなければ我慢できなかった自分から、ふっと解放され、みんなの力とやさしさと寛大さと、ドレミが大好きと言うエネルギーが、いつまでも『たすき』をつなぎ続けているのだと思うのです。
 ドレミの『たすき』は競争のルールの中にあるのではなく、心のリレーだと思っています。頑張れるときが、頑張りどき。病のときは、休みどき。
No.67 - 2006/01/30(Mon) 01:01:15
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