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一橋大学ゴルフ部掲示板

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(No Subject) NEW / 古川浩一
今まで書いてきたように、社会経済は人間性に影響を与える。だから江戸時代は江戸時代の人間性を生んだ。だが江戸時代の人間性が現代日本で正しいばかりだろうか。だから人間性解放のためには不当な歴史と伝統にもよる社会経済のしばりを変える必要もある。ここで歴史と伝統対現代の問題が起きる。俺が今まで取り組んできたように歴史と伝統に縛られれば不当に人間性が縛られる。それで不当に幅を利かす人間もいる。だから古い社会経済の産物である歴史と伝統に対する態度も考えられるべきだ。歴史観それに基づく歴史教育の問題もここで起きる。せめて嘘のない歴史にすべきだ、資本主義の経済学でいいから経済にも基づいた。まあ、そうは言っても、俺も天皇制は支持だし水木しげるのファンでもある。歴史と伝統を殲滅しろとは言わない。だが鉄のトライアングルによる日本私物化は破壊されるべきだ。誰かがネットで言ってたが新自由主義2共同体主義2くらいがちょうどいいだろう。
No.5436 - 2024/07/06(Sat) 16:10:04
(No Subject) / 古川浩一
人間性の解放のためには社会経済を変える必要もある。ある社会経済が人間性を作るゆがめるところもある。だから江戸時代は江戸時代の人間性を生んだ。だから俺が日本社会経済をゆがめてる卑怯卑劣な鉄のトライアングルを批判するのも人間性解放のためからもある。歴史にもそんな姿勢で取り組んでる。今まで書いてきたことで分かるように。そのためのアメリカ式資本主義だ。そこからマルクスの主張にも共感してる。主張するのはそのためにはアメリカ式資本主義という点で異なるが。歴史上の芸術もそんな人間性の表れたものが多いというのは前にも書いた。いろんな芸術も社会経済の中の人間の心のもたらしたものが多いんじゃないかな。その例を考えてみる。サルトルは世界の本質は暴力だと言ったが、美と暴力とマウントとの関係関連はどんなものだろうか。今の総理大臣、首相や大統領たちを多くの人間が英雄と呼ばないように、歴史上の権力者や歴史上の人物、社会も彼ら彼女らの政策上の行動やらから冷静に検証され評価されるべきだと思う。その社会経済の現実真実と照らし合わせて。これは的外れな考え方かな。資本主義の経済学で考えたらこれらは違うのかな。歴史上の権力者人物の人間性の評価、それから考えられる社会経済と人間性の関係関連も考えられるべきだ。人間がなんで彼ら彼女らがあんなふうだったのか。それは現代人にも言えるが。ヤフー知恵袋なんか見ると歴史に関して冷静な経済を含めた人道的人権的価値観からの歴史観による歴史観歴史上の人物の評価が多い。これからの歴史ものはそんなふうな傾向に向かっていくんじゃないかな。少なくとも歴史上の権力者たちの行動に民のための正当性を見つけるという方向に歴史観が向かってるみたいだな。こんな風潮が国民のあいだに広がっていくんじゃないかな。そんな人権からの歴史観が広がっていくんじゃないかな。だから昔は平安貴族は感性を磨く時間があり余ってましたという歴史観だったが、それから平安皇族貴族は政務に忙しく働き者だったとか民のため紫式部が炊き出しをしたりとかの大河に変わって来てる。本物志向か。歴史と伝統のお宝の人たちにもそんなものは向かいやしないかな。歴史に関してすでにつかれてる嘘、歴史上の嘘はどうなるか。ラッダイト運動みたいなことも起きた起きるかもしれないけど、産業革命後の社会経済が、どんな生まれかより、何ができるかが人間にとってより重要な社会経済を生んだのもそうだ。それでどこの馬の骨とも分からぬど田舎者のど貧乏人でも積分の計算を暗算でできたり高度な科学科学技術を操れるような人間が巨富をつかめるよう日本のお手打ち総会株式持ち合いの八百長社会主義鉄のトライアングルを改めてアメリカ式資本主義にしようと言ってる。これによる全ての歴史は階級闘争の歴史であるというマルクスの歴史観に沿った人類の解放を目指そう。以下のことが分からないと歴史からほとんどなにも学べない。歴史上、民にとっては権力者は税を取る代わりに自分たちの生活を成り立たせてくれる人間、指導者かもしれないが、権力者にとって民は自分たちの高級有閑生活を成り立たせてくれるための財源税源でもある。このことは歴史上も今も変わらない。だからカネ経済のことが分からないと歴史からなにも学べない。人類史上、農業革命から農業が経済の中心の時代、産業革命前までは工業化前までは、特に人口の大部分を占めた農家など一次産業従事者の子弟は自分の運命を変える経済の可能性が低かった。社会経済的に。農業や経済の生産性が低かったため、社会全体を養うために一次産業以外の就業の可能性が低かったのだ。ところが産業革命後、農家など一次産業従事者の子弟でも技術科学技術を操れれば、それによってそれを商売につなげて経済的に自立できる人間が増えていった。その後の科学技術工業化の進展で農業など一次産業の生産性も向上し人類全体でも以前より少ない一次産業従事者で多くの人口を食わせられるようになった。そのために他の仕事へも人口の多くの部分を割けるようになった。しかしそれで食わなければいけない。これで工業化の時代でどんな生まれかより科学技術などどんなことができるかが人間が社会の中で果たす役割に大きな影響を与える時代が来た。勉強ができるとかも会社の商品を作る科学技術を操る。会社の商売の契約の書類を書く読むなど。貧乏な百姓の息子でも積分の計算を暗算でしたり高度な科学科学技術を操る人間が出てきた。これによって勉強など自分の努力と才能でそれを経済力に変えて自分の運命を変えられる時代が来た。だが鉄のトライアングルなどそんな人間からピンハネするシステムも日本にはある。これはおかしいので俺はこれを変えようとアメリカ式資本主義を持ち出した。こうなると社会における政治権力にもそんなのの影響が出てくる。誰でもチャンスと努力で自分の運命を変えられる時代が来たのだ。それが社会経済全体にとっても国家にとっても民にとってもメリットになる時代が来たのだ。そのために教育を大衆化してより多くの科学者、エンジニア、学術研究者、起業家などを量産することが国家にとってもその民にとってもメリットのある時代が来たのだ。それで自分の知性や経済力に自信を持った庶民は政治的にも社会の主人公になろうとする。実際政治なんかやってる連中でも本当に仕事をしてるのは官僚だろう。官僚抜きでは政治ができないだろう。こんなふうに人類は知性によって現在の繁栄を築いてきたところが大きい。こんな歴史観これに対立するのはなんだろう、その名乗りを上げるのは誰か。これからの政治や教育はどんな方向に舵を取るべきか。芸術においてもピアノなんかも誰にでも身につく。
No.5435 - 2024/07/05(Fri) 13:52:16
(No Subject) / 古川浩一
ラッダイト運動みたいなことも起きた起きるかもしれないけど、産業革命後の社会経済が、どんな生まれかより、何ができるかが人間にとってより重要な社会経済を生んだのもそうだ。それでどこの馬の骨とも分からぬど田舎者のど貧乏人でも積分の計算を暗算でできたり高度な科学科学技術を操れるような人間が巨富をつかめるよう日本のお手打ち総会株式持ち合いの八百長社会主義鉄のトライアングルを改めてアメリカ式資本主義にしようと言ってる。これによる全ての歴史は階級闘争の歴史であるというマルクスの歴史観に沿った人類の解放を目指そう。以下のことが分からないと歴史からほとんどなにも学べない。歴史上、民にとっては権力者は税を取る代わりに自分たちの生活を成り立たせてくれる人間、指導者かもしれないが、権力者にとって民は自分たちの高級有閑生活を成り立たせてくれるための財源税源でもある。このことは歴史上も今も変わらない。だからカネ経済のことが分からないと歴史からなにも学べない。人類史上、農業革命から農業が経済の中心の時代、産業革命前までは工業化前までは、特に人口の大部分を占めた農家など一次産業従事者の子弟は自分の運命を変える経済の可能性が低かった。社会経済的に。農業や経済の生産性が低かったため、社会全体を養うために一次産業以外の就業の可能性が低かったのだ。ところが産業革命後、農家など一次産業従事者の子弟でも技術科学技術を操れれば、それによってそれを商売につなげて経済的に自立できる人間が増えていった。その後の科学技術工業化の進展で農業など一次産業の生産性も向上し人類全体でも以前より少ない一次産業従事者で多くの人口を食わせられるようになった。そのために他の仕事へも人口の多くの部分を割けるようになった。しかしそれで食わなければいけない。これで工業化の時代でどんな生まれかより科学技術などどんなことができるかが人間が社会の中で果たす役割に大きな影響を与える時代が来た。勉強ができるとかも会社の商品を作る科学技術を操る。会社の商売の契約の書類を書く読むなど。貧乏な百姓の息子でも積分の計算を暗算でしたり高度な科学科学技術を操る人間が出てきた。これによって勉強など自分の努力と才能でそれを経済力に変えて自分の運命を変えられる時代が来た。だが鉄のトライアングルなどそんな人間からピンハネするシステムも日本にはある。これはおかしいので俺はこれを変えようとアメリカ式資本主義を持ち出した。こうなると社会における政治権力にもそんなのの影響が出てくる。誰でもチャンスと努力で自分の運命を変えられる時代が来たのだ。それが社会経済全体にとっても国家にとっても民にとってもメリットになる時代が来たのだ。そのために教育を大衆化してより多くの科学者、エンジニア、学術研究者、起業家などを量産することが国家にとってもその民にとってもメリットのある時代が来たのだ。それで自分の知性や経済力に自信を持った庶民は政治的にも社会の主人公になろうとする。実際政治なんかやってる連中でも本当に仕事をしてるのは官僚だろう。官僚抜きでは政治ができないだろう。こんなふうに人類は知性によって現在の繁栄を築いてきたところが大きい。こんな歴史観これに対立するのはなんだろう、その名乗りを上げるのは誰か。これからの政治や教育はどんな方向に舵を取るべきか。芸術においてもピアノなんかも誰にでも身につく。。
No.5434 - 2024/07/04(Thu) 19:20:43
(No Subject) / 古川浩一
ラッダイト運動みたいなことも起きた起きるかもしれないけど、産業革命後の社会経済が、どんな生まれかより、何ができるかが人間にとってより重要な社会経済を生んだのもそうだ。それでどこの馬の骨とも分からぬど田舎者のど貧乏人でも積分の計算を暗算でできたり高度な科学科学技術を操れるような人間が巨富をつかめるよう日本のお手打ち総会株式持ち合いの八百長社会主義鉄のトライアングルを改めてアメリカ式資本主義にしようと言ってる。これによる全ての歴史は階級闘争の歴史であるというマルクスの歴史観に沿った人類の解放を目指そう。以下のことが分からないと歴史からほとんどなにも学べない。歴史上、民にとっては権力者は税を取る代わりに自分たちの生活を成り立たせてくれる人間、指導者かもしれないが、権力者にとって民は自分たちの高級有閑生活を成り立たせてくれるための財源税源でもある。このことは歴史上も今も変わらない。だからカネ経済のことが分からないと歴史からなにも学べない。人類史上、農業革命から農業が経済の中心の時代、産業革命前までは工業化前までは、特に人口の大部分を占めた農家など一次産業従事者の子弟は自分の運命を変える経済の可能性が低かった。社会経済的に。農業や経済の生産性が低かったため、社会全体を養うために一次産業以外の就業の可能性が低かったのだ。ところが産業革命後、農家など一次産業従事者の子弟でも技術科学技術を操れれば、それによってそれを商売につなげて経済的に自立できる人間が増えていった。その後の科学技術工業化の進展で農業など一次産業の生産性も向上し人類全体でも以前より少ない一次産業従事者で多くの人口を食わせられるようになった。そのために他の仕事へも人口の多くの部分を割けるようになった。しかしそれで食わなければいけない。これで工業化の時代でどんな生まれかより科学技術などどんなことができるかが人間が社会の中で果たす役割に大きな影響を与える時代が来た。勉強ができるとかも会社の商品を作る科学技術を操る。会社の商売の契約の書類を書く読むなど。貧乏な百姓の息子でも積分の計算を暗算でしたり高度な科学科学技術を操る人間が出てきた。これによって勉強など自分の努力と才能でそれを経済力に変えて自分の運命を変えられる時代が来た。だが鉄のトライアングルなどそんな人間からピンハネするシステムも日本にはある。これはおかしいので俺はこれを変えようとアメリカ式資本主義を持ち出した。こうなると社会における政治権力にもそんなのの影響が出てくる。誰でもチャンスと努力で自分の運命を変えられる時代が来たのだ。それが社会経済全体にとっても国家にとっても民にとってもメリットになる時代が来たのだ。そのために教育を大衆化してより多くの科学者、エンジニア、学術研究者、起業家などを量産することが国家にとってもその民にとってもメリットのある時代が来たのだ。それで自分の知性や経済力に自信を持った庶民は政治的にも社会の主人公になろうとする。実際政治なんかやってる連中でも本当に仕事をしてるのは官僚だろう。官僚抜きでは政治ができないだろう。こんなふうに人類は知性によって現在の繁栄を築いてきたところが大きい。こんな歴史観これに対立するのはなんだろう、その名乗りを上げるのは誰か。これからの政治や教育はどんな方向に舵を取るべきか。芸術においてもピアノなんかも誰にでも身につく。
No.5433 - 2024/07/04(Thu) 19:18:24
(No Subject) / 古川浩一
人間性の解放のためには社会経済を変える必要もある。ある社会経済が人間性を作るゆがめるところもある。だから江戸時代は江戸時代の人間性を生んだ。だから俺が日本社会経済をゆがめてる卑怯卑劣な鉄のトライアングルを批判するのも人間性解放のためからもある。歴史にもそんな姿勢で取り組んでる。今まで書いてきたことで分かるように。そのためのアメリカ式資本主義だ。そこからマルクスの主張にも共感してる。主張するのはそのためにはアメリカ式資本主義という点で異なるが。歴史上の芸術もそんな人間性の表れたものが多いというのは前にも書いた。いろんな芸術も社会経済の中の人間の心のもたらしたものが多いんじゃないかな。その例を考えてみる。サルトルは世界の本質は暴力だと言ったが、美と暴力とマウントとの関係関連はどんなものだろうか。今の総理大臣、首相や大統領たちを多くの人間が英雄と呼ばないように、歴史上の権力者や歴史上の人物、社会も彼ら彼女らの政策上の行動やらから冷静に検証され評価されるべきだと思う。その社会経済の現実真実と照らし合わせて。これは的外れな考え方かな。資本主義の経済学で考えたらこれらは違うのかな。歴史上の権力者人物の人間性の評価、それから考えられる社会経済と人間性の関係関連も考えられるべきだ。人間がなんで彼ら彼女らがあんなふうだったのか。それは現代人にも言えるが。ヤフー知恵袋なんか見ると歴史に関して冷静な経済を含めた人道的人権的価値観からの歴史観による歴史観歴史上の人物の評価が多い。これからの歴史ものはそんなふうな傾向に向かっていくんじゃないかな。少なくとも歴史上の権力者たちの行動に民のための正当性を見つけるという方向に歴史観が向かってるみたいだな。こんな風潮が国民のあいだに広がっていくんじゃないかな。そんな人権からの歴史観が広がっていくんじゃないかな。だから昔は平安貴族は感性を磨く時間があり余ってましたという歴史観だったが、それから平安皇族貴族は政務に忙しく働き者だったとか民のため紫式部が炊き出しをしたりとかの大河に変わって来てる。本物志向か。歴史と伝統のお宝の人たちにもそんなものは向かいやしないかな。歴史に関してすでにつかれてる嘘、歴史上の嘘はどうなるか。
No.5432 - 2024/07/04(Thu) 17:50:54
(No Subject) / 古川浩一
人間性の解放のためには社会経済を変える必要もある。ある社会経済が人間性を作るゆがめるところもある。だから江戸時代は江戸時代の人間性を生んだ。だから俺が日本社会経済をゆがめてる卑怯卑劣な鉄のトライアングルを批判するのも人間性解放のためからもある。歴史にもそんな姿勢で取り組んでる。今まで書いてきたことで分かるように。そのためのアメリカ式資本主義だ。そこからマルクスの主張にも共感してる。主張するのはそのためにはアメリカ式資本主義という点で異なるが。歴史上の芸術もそんな人間性の表れたものが多いというのは前にも書いた。
No.5431 - 2024/07/04(Thu) 16:21:46
(No Subject) / 古川浩一
繰り返すが、卑劣卑怯と言うなら、あのお手打ち総会、株式持ち合いの八百長社会主義による日本経済の独占、それが政治とカネで政治を買ってその政治家は世襲で地方の歴史と伝統の人間もそれにからんでの日本社会経済の私物化、そんなもの全体それもからんだ世襲の人間たちは卑怯卑劣じゃないだろうか。他の国民は競争させられるのにそんな連中は実力がなくても世襲で日本の権力を握るというのも卑怯卑劣じゃないだろうか。努力したり知性で実力のあるものが日本でトップになれないで。
No.5430 - 2024/07/04(Thu) 12:54:28
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