先月末はオリオンズが幼少期から大好きになったきっかけの一人の方の誠に残念な新聞報道に動転してしまいました。 幼少期の当時銭湯の下駄箱争いでもYG王・長嶋全盛期の幼少期から敢えてミスターオリオンズの3番だと言い出していた方の逝去の報を聞き、意味不な語尾で爆睡してしまいました。皆様フォローして下さり本当に有り難うございました。ロッテ球団へのいくつになっても汲めども尽きぬミラクルな魅力は何と言っても時々の選手達のむせ返るような魅力が何と言ってもあるからだと信じています。今日は他球団ですが熟年サラリーマンの希望の星D球団Y投手が球団内の通算勝ち星更新との報にかつてオリオンズ生え抜き選手ではないのにその特異な選手生活17年で通算100勝達成という大記録と当時報道されていた時その記録達成が如何に至難であることかが報道された当時はよく理解できなかったのですが、今の年代になるとつくづくと凄い記録だと実感できたのですが、ロッテ球団に来られる前はY投手と同じくD球団だったことを思い出し、WIKIしたら、その方はロッテ球団で引退後はスカウトとして今のロッテの投手王国を築かれ、何としたことか51歳の若さで御逝去されていたことを知った次第です。水谷則博投手。1974ロッテ日本一の当時手の付けられぬ常勝軍団だった阪急ブレーブス打線を飄々と一切強打線にビビらずに自身の投球を貫き通された雄姿は忘れません。 No.4967 - 2012/04/30(Mon) 22:16:52
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