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(No Subject) / 脂な管理人・横着星
>「よかったね」……なのでしょうね、多分。
 個人的には全然「良く無かった」なあ(苦笑)。
>「悪意、もしくは芸が無い」と言わざるを得ない気もします。
 繰り返しになります、全体的に「旧劇の焼き直し、劣化コピーでしかない」と思っています。
>少ししたら、吐き出したいことが幾つか有りますので、その際はお許しをいただければ幸いです。
 好きなだけ吐いて下さい、私も吐きます^^


>はじめまして。
 初めまして^^
>ともすれば補完するようにSS書いたりするような激情が起こったりするんでしょうか。
 私は創作した事無いし今後も無いですが、どうなんでしょうね?
 シンに関しては「納得できない」ではなく、「ああ、またか」って諦観の方が強い気がするので、そういうのは創作意欲は湧くのでしょうか?
 何となくですが湧かない人の方が多いのでないかな?とか思ったり^^

No.37 2021/03/15(Mon) 08:51:47
ポジティブ評価寄りの部分としては / 砂漠谷麗馬
そうした物語の展開を作れる所までには「世界が描かれるようになった」と言う点はまあ、挙げられると思うんですよね。あと、「人間中心主義の問題」にしても、『村に居るにゃんこ・わんこ、池ではペンペンの同族達が楽しそうに暮らしている』『補完⇒世界再生のシーンで旧劇の十字架から、今度はちゃんと人の姿が描かれ其処には犬や猫、その達の動物達の姿も描かれていた』『加持の目的は地球生態系全体をみた生命の保存⇒村に下りてくる保存カプセル』みたいな描写で描かれている…それ故に「惜しい」。実に惜しい。終盤のアレの「進歩の無さ」には唖然とせざるを得ない(苦笑)


さて此処からdisります♪

No.36 2021/03/14(Sun) 12:01:35
其処について蛇足を加えるなら / 砂漠谷麗馬
『補完の物語』のストーリー性をブーストさせるなら「主人公が今一度闘うのは」「レイの寿命を延ばす手段を得るため」…ってのだと一気に収束するんですがね。

この辺は「元二次創作者」の悪い癖でつい「御話を組み立てるのに熱中してしまう」(苦笑)

No.35 2021/03/14(Sun) 11:43:23
それは同時に / 砂漠谷麗馬
「我々にとっての(或いは、今やこれからの日本人にとっての)リアル」が「どちらにあるのか」って話でもあると思う訳です。

「庵野氏」が帰還した、「日本が豊かな平成の侭の」宇部の『新海誠か?』という世界なのか、或いはどこか昭和20年代をほうふつとさせる「縮みゆく世界を生きる共同体」の姿なのか…ってね。レイは…後者に「必要なひと」です。主人公=観客の「心」をその共同体に回帰させるために。

果たして我々にとってどちらの物語が「求められるものなのか」って話でもあると思う訳ですわ。

No.34 2021/03/14(Sun) 11:39:13
一つには、 / 沙漠谷麗馬
我々にとっての(二次創作的な)(綾波レイの物語としての)「補完」の可能性としては、

『シンジが村に根付き、あの世界で生きていくことを決意しレイに名前を贈る(まあ、これは付けるなら…『ノリコ』ですかね 苦笑 『モヨコ』の方は眼鏡さん説に世間がなっちっゃてるので 苦笑 そう単純に作者と作品を同一視するのもどうかとは思いますが・・・「ヒデアキの妻モヨコ」が宇部の眼鏡っ娘なら「しんじを待つノリコ」はあの村に居たっていいと思う訳ですよ。我々のもう一つの世界線として。)』

その後は「村や世界を存続させるためにもう一度闘って」、其処で死んでも、あるいは「いつかきっと帰ってくる」「まっているから」でも構わない。

其処に「主人公と社会・世界を結ぶ物語」が生まれる。「あやなみれい」と「彼女が人々やいのちに向ける愛」を紐帯として。

我々が「見たかった」物語は「これじゃないのか」と思う訳です。

No.33 2021/03/14(Sun) 11:31:18
此処からはネタバレ含みます(御注意を) / 砂漠谷麗馬
即ち…其処に「他者の居る世界」やその「営み」を認識しつつ、「シンジは最後までその一員ではなくあくまで居候・マレビトとして其処にひと時身を置く者」で在り続けた訳です。此処は、黒レイがその「共同体」の一員となる事で「生命と世界」を知って感動して行く、という描写と対照的です。あのまま命が尽きる事が無かったならば、彼女はあの村を「わたしの場所」として、『我々の心の中にも』永遠に生き続ける事が出来たろうに…

(あるいは、せめてシンジのモチベーションがレイの愛したあの村と人々を守る、と言う物であったならば我々は満足して劇場を出る事が出来たのかもしれませんが・・・それはすなわちシンジが『共同体の中に自分の場所を見つける』と言う事でもあった筈なのですがね)

しかし、シンジの在り方は何処までもマレビトであり(むしろあの村は「彼」が居るが故にアスカの方にとって帰る場所になっていた感すらある)、黒レイがその生涯を終えた事すら「其処から離れる」理由づけにしか繋がって居無かった。

ネルフやブンダー同様、あそこも「シンジの場所」ではなかった。

No.32 2021/03/14(Sun) 11:16:06
まずは、ポジティブな方の評価から。 / 砂漠谷麗馬
成程、「感心」した点は多々ありました。旧テレビシリーズおよび旧劇が終わり、それを当時の評者が「疎外の物語」「脱構築」と持ち上げた時、小生はあれを

「個人への逃避・社会と言う視点の欠落・度し難い人間中心主義」

と散々叩いた覚えがあります(苦笑)そして、あの様式がその後「セカイ系」なる形で再生産されそれはそれで叉批判される、といった流れも今は昔…

その意味では「シン」、というか「新劇」全体としてその辺りは「大きく改善された・進歩した」と言う事は出来ると思います。庵野氏の「割書きの前の独り芝居」は何時しか「其処に他人や他のいきものの存在」がある、「社会・世界」へ目を向けた物にはなって居ます。

「シン・ゴジラ」において聊か浅薄な感はあったとはいえ「国家」と言う物に氏がそれなりに真面目に視線を向けた様に、「他者と、彼等が作る共同体」と言う物が庵野氏の認識の中にわりとしっかり根付いた事は伺えます。

(そりゃまあ、自分でカイシャ立ちあげてそれを回す以上はそうでなきゃ困るんですが 苦笑)

さて、ネタバレを嫌う方は此処から下はご覧にならないでください。

それは言うまでもなく「第三村」と「主人公を残して大人として自立し、共同体を回し家族を守る側」になった同級生達の姿に集約されている訳ですね。Qでは「見えなかった」部分をああいう形で持ってきた。二次創作に置いて「ポストEOEネタにおいては絶対に必要だ」と小生が考えて居た物が大体表現されているようにも感じました。

まあ、其処で「王道」なら、その存在こそが「主人公が見つけた守るべきもの」として認識されていく…というのが基本的な流れなんでしょうが、そこは庵野氏が「どこか他人事」の様に感じているように見えて『あー、其処は成長はしてないのね…』という感じは受けましたが。

(続くかな)

No.31 2021/03/14(Sun) 11:02:09
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