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ついに最終回。 ピエーロとのラストバトル、というよりは、「自分の中の絶望」 とのバトルという感じでしたかね。ピエーロはあくまで、 「絶望」を用意するための舞台装置でしかなく、キャラクター的な 個性はほとんどない存在でした。「(みゆきたちは)本当の絶望や 悲しみを知らない」とピエーロが言った時は、もしかしたら ピエーロ自身、過去に何か激しく絶望するようなことがあって それによって今のようになったのか、とも思いましたが、 考えて見ればピエーロの正体は負の感情の総体であるというのは 前回語られていましたので、そういった内面の掘り下げは あり得なかったですかね。 もっとも、「絶望を導くためだけの舞台装置」に徹することも それはそれでアリなのかもしれません。無機的・非人間的なモノと 言う部分を強調して「絶望」を示すことで、それに立ち向かう みゆきたちの人間性が強調される、ということもあるでしょうし。 また、「絶望」した者はその人間性を失ってしまうのだ、という 示唆でもあり、さらに、敵を無機的な装置とすることで、 スマイルが最終的には、他者ではなく自己の中のネガティヴな 部分との対峙と超克をテーゼとして示したということでも あるのかもしれませんね。 最後の変身の代償として妖精たちと別れなければならない、という 展開は、劇場版オールスターズDX3と同じもので、ストーリー的 には悪くないのですが、やはり既視感を覚えてしまうのは ちょっと残念なところかも。もっとも、DX3の時はスマイル組は いませんでしたから、同じストーリーをスマイルで語ったら どうなるか、という意味でのセルフリメイクでもあったのかも しれませんね。ラストの巨大ハッピーも、ハートキャッチラストの ムゲンシルエットを思わせるものでしたが(笑)。 キャンディとの別離を心に決めるシーンは、福圓さんたち 声優さんの力量に改めて感じいるところでしたね。 展開も、「できることを全部やる。絶対に未来をあきらめない」の 同じパターンを、別離を知る前と知ったあとに繰り返して使い、 それぞれの内心の変化、決意の重さの違いを描くというのは 効果的でした。みゆきたちは、最終回に至ってなおも完成せず 成長を続ける子たちであることを示している、ともいえるのかも しれませんね。 ラストは予定調和とはいえキャンディが戻って来てハッピーエンド ですが、「お星さまにいっぱいお願いしたら戻れた」というのは なんかよくわからないというかあっさりしすぎかも(笑)。 再会の直前のシーンで、みゆきがキャンディの絵本を描いていた わけですから、それを織り込み、「みゆきによって新たな物語が 作り出されることで、キャンディが戻ってこられる可能性が 世界に生み出された」とかのほうが、多少説得的ではあったかも しれません(笑)。 一年を通じ、スマイルはギャグ・コメディ回では高い完成度の エピソードが頻発し、エンターテインメント性という部分では 歴代作品の中でも有数の出来になっていたように思います。 その反面、全体構成やストーリー性といった部分においては ちょっと残念な部分も目立ち、そういう意味では評価の上下幅が 非常に広く揺れる作品になっていた気もしますね。 とはいえ、みゆきたちのキャラクター性という点では印象深く、 その部分に全力を傾注したという特化型のスタッフの製作姿勢は ある意味潔い割り切り、あるいは開き直り(笑)とでもいうべき ものではあったかもしれません。 次回作ドキドキではそのあたりをどう処理してくるのかが 楽しみでもありますね。 それでは一年間ありがとうございました。 またドキドキのスレでもお会いできればと思います(笑)。 [No.2303] 2013/01/27(Sun) 09:54:15 |