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サブタイトルは真琴のメイン回のように見えますが、その実は 六花の主役回でした。……と見せかけて、さらに実は、ありすの 心情が一番面白く読めるのではないかとも思える回でも ありました(笑)。 もっと仲良くなりたいという動機からマナたちの学校に転校して くる真琴。その真琴とマナの姿を見て心にわだかまりを覚える 六花の描写を主体に物語は展開していきます。六花のその感情が 友情でも百合でもまあいいのですが(笑)、どちらにせよ 六花のマナに対する執着のようなものが非常に強いということは 「幸せの王子と燕」の比喩からもよくわかることですね。 その、思春期ならではの、友人への強烈な独占欲を真正面から 描いたという点で、今回はかなり意欲的な切り口のエピソード だったと思いますし、また実際六花を主役にした心理ドラマと しても相応の完成度に到達していたように思います。 六花がベッドの中で、マナと真琴は今頃何をしているんだろうと 煩悶するところなどはかなり生々しい描写でしたね(笑)。 惜しむらくは、ここまで踏み込んで六花の心の襞を描いたのなら 六花自身がジコチュー化するところまで思い切った展開に 出来たかもしれない、というところですね。応援団長さんを いわばスケープゴートに使って、プリキュアである六花を 怪物化させることは避けたというように見えます。それはそれで 仕方ないことかもしれませんが、ちょっと残念な気もしますね。 ハートキャッチのえりかやいつきはデザトリアン化して いましたしね。と言っても彼女たちはプリキュアになる前のこと ですが。 まあ、愛情が暴走するという自分の姿のまさに写し絵を 六花が客観的に見せられることで、初めて彼女の内面の鬱屈は 昇華できたということもあるかもしれませんね。 もっとも、六花の嫉妬心、独占欲は必ずしも根本的な解決を見た わけではない、というのもさりげなく重いところではあります。 いわば問題を先送りにしたにすぎないかもしれず、それは彼女の、 あるいは彼女たちの心に刺さった消えない棘として苛み続けるの かもしれません。 その嫉妬心は六花だけのものではなく、真琴もまた同様に感じて いたものだと明かされるラスト。これまで使命と王女のためだけに 生きてきた真琴が初めて等身大の少女としての心情を見せた シーンといえるかもしれません。序盤では必死にマナたちを 遠ざけてきた真琴が、いったん心を許したあとは近づきたくて、 でもどうすればいいかわからずに試行錯誤している様が伺え、 不器用な彼女の魅力が伝わる個所でもありました。……まあ 日常生活では別の意味でも不器用なようですが(笑)。 六花を主役としたエピソードの写し鏡として真琴を描き、そして その鏡に映った二人を見つめる「目」としてありすを、いわば 背後から描写した、とも言える構成でもありました。 六花の揺れ動く不安定な心情を看破し、さりげなくその傍らに 現れるありすは、おそらく六花が今感じている感情を、既に 自己のものとしていた経験を持つゆえの言動ではなかったか、と 考えさせられますね。そしてそれはおそらく、マナと六花の 二人の関係に対して、かつてのありすが抱いていた感情という 可能性が最も高いのでしょうね。 そう考えると、ありすが一人だけ別の学校に通っているという 事実にある種の意味が付与されるような気もします。ありすは 感情が暴走すると自己制御ができなくなる、という過去を 持ちますから、あえて感情を抑えるために、自ら意図して マナと六花の二人から距離を置いているのかもしれない、とまで 考え出すとさすがに行きすぎでしょうが(笑)。 ラストシーンで、その嫉妬という感情に三者三様で向き合って いた中、おそらくマナは一人だけその感情には無縁だったように 見えます(笑)。 それはマナの欠落した、あるいはまだ知らない感情ということ なのかもしれません。「愛を忘れた悲しい…」というのは キュアハートの決め台詞ですが、実は嫉妬を知らず、したがって 本当の愛をまだ知らないのはマナ自身であるという皮肉なのかも。 [No.2347] 2013/04/07(Sun) 10:03:18 |