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レジーナの方が「トチ狂ってお友だちになりに来た」という ある意味メタなネタの回だったかもしれません(笑)。 まあ内容は重いエピソードではありましたが。 「敵と友達になってはいけないのか」というのは、これはだいたい プリキュアの統一テーマですね。 ですが、レジーナは単に「敵」であるだけでなく、トランプ王国に とっては「仇」でもあります。そのレジーナに対して、マナだけ ではなく、六花やありすも、一応の忌避は見せるものの、 それほど感情的な対立を見せなかったのはちょっと意外でした。 意地悪に考えると、「結局はマナたちは当事者ではない」と 言うことなのかも(笑)。 六花が怒ったのは、真琴のようにレジーナの存在それ自体に 対してではなく、レジーナが、自分しかマナの友人はいらないと 言ったからでしたしね(笑)。それぞれの怒るポイントが異なって いるのも今回の人間関係の複雑な点でした。 素直に考えれば真琴の感情が当然で、マナの方が明らかに おかしいんですよね(笑)。それも、特に何か理由や根拠が あって「友達になれる」と考えたわけでもなく、また、何かの エピソードの積み重ねがあった上の話でもない、ただ単に 「ビビッと来た」と言うだけですから、説得力は皆無と言われても 仕方はないところ。マナがレジーナの可愛らしい笑顔を見たのは 友達になってから後のことでしたしね(笑)。そこを意図的に 過程をすっ飛ばし、直感的に「友達になれる」と思わせてしまう のがマナのキャラクターと言うことでもあるでしょうが、視聴者の 共感を得ることができるかどうかという部分では、製作側も 結構難しいハードルに挑んできたなと思うところでもあります。 レジーナをストレートに「本当はいい子」として描こうとするなら 前回で明確な敵として暴れさせない方が良かったのでしょうが、 あえて一回、「敵」としてのレジーナを描いた上で今回のお話を 持ってくる、という構成が、それぞれの感情の複雑さを 際立たせている、ということにもなっていた気がします。 前回敵として戦っていることで、「悪事はキングジコチューが やったことであって、その娘のレジーナには関係がない」と言う エクスキューズを使えなくしているんですよね。 もっとも、前回酷いことしてごめん、と素直に謝ったレジーナの 言葉も見逃すわけにはいかないかもしれません。そこがまさに マナの「ビビッと来た」部分ではあるのかも。 まあ、「ごめんで済んだらプリキュアはいらない」と言う六花の 言葉も正論かもしれませんが(笑)。 マナ自身も、「自分がおかしいのはわかっている、真琴が怒るのは 当然だ」、と何度も強調しており、しかしそれでもレジーナと 友達になることをやめたくない、という、ある意味レジーナ以上に ジコチューな姿を露呈していました。もう一人の友達を怒らせて までも友達を作るべきなのか、というのは非常に難しいところでは ありますね。それでいて真琴にも嫌われたくない、と泣くわけ ですしね(笑)。もちろんマナ自身そんな自分の感情が理不尽 なのは分かっているわけですが、そこで悩んだり、我慢をしたり しないのがマナの長所でもあり、また短所でもあるのでしょう。 周囲の人間にだけ我慢を強いている、と言うと、ちょっと悪い 言い方すぎるかもしれませんが(笑)。 ラストに、「自分はレジーナを許せないがマナとレジーナが 友人なのは認める」と言う真琴の姿はある意味非常に理想的な 関係で、真琴がそこまで大人になれたという点でも重要な エピソードと言えたでしょうね。そして「本当の友達って 何だろう」と考え込むレジーナの最後の姿は、そんな真琴と対に なっているわけで、綺麗な構成でした。 自分以外の友達はマナには不要だと考えるレジーナの独占欲は、 ある意味10話の六花とも通じる部分があり、それをより極端化 したもの、ということもできるかもしれません。まあ極端化 した分、10話のような生々しいヘビーさは薄れている感じでは ありますが(笑)、「友情を、そのネガティヴな感情の面まで 含めてきちんと向き合う」のがドキドキのテーゼでもあるのかも しれませんね。 [No.2405] 2013/05/19(Sun) 09:58:59 |