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色々と衝撃的な要素が多すぎて情報処理が大変な回でした(笑)。 まず5人目の追加戦士が初めて公式に告知されましたが、あの もっさりしたシルエットだけだと、ほとんど何もわからない ですね(笑)。ネット上ではしばらく前から情報は出回って いましたが。 さて本編。今回はジョーとセバスチャンという、二人の大人 ポジションのキャラの扱いが対照的過ぎてなかなか楽しかった ですね(笑)。 困った時の四葉グループ、という便利展開は、やはり色々と インパクトがあります。四葉の財力と設備、そしてセバスチャンの 用意周到さと能力は、何をやらかしても「四葉グループだから 仕方ない」とか「セバスチャンだから仕方ない」と思わせて しまえる強引な説得力がありますね(笑)。 前作スマイルで言うと、れいかが万能キャラすぎて、何をやっても れいかだから仕方ないで済ませてしまえたような感じかも(笑)。 それに対して今回ほとんど役に立たなかったジョー(笑)。 もっとも、ジョーは変身しているというわけではなく、ただ鎧を 着ているだけですから、その重武装状態で雪山登山はやっぱり結構 キツいものはあったでしょうけどね(笑)。逆に言うと、 完全武装で雪山をポンポンと(一応は)跳んで登っていけるだけの 身体能力があるジョーはやっぱり凄い、ともいえるのかも しれませんが。 もっとも、人工衛星でクリスタル追跡!ヘリコプターで全員出動! という怒涛のドリーム展開の流れの後に、山小屋のおじさんを 出して、いわば視聴者を現実に戻してしまったのは、少し 引っかかりができてしまったところかもしれません。いくら事情が あるらしいと言っても、そういったベテランっぽい山小屋の おじさんが、女子中学生だけで雪山に登らせるはずないよなあ、 とか、そこでふっと醒めて考えてしまいますよね。 ドリーム展開はドリーム展開のまま、勢いだけで突っ走って、 山小屋によらずにすぐ山に登らせた方が良かったかも しれませんね。光の伝説のことは、それこそセバスチャンにでも 言わせておけば良かったでしょう。彼なら何でも知っていても 不思議ではないでしょうし(笑)。 本筋はマナとレジーナの再びの和解。それはそれで感動的では ありますし、レジーナは可愛らしかったのですが(笑)、既に 素のレジーナが改心する流れを17話で描いているわけですから、 同じような改心・和解展開を二度にわたって繰り返したのは 展開被りでちょっとくどかったかもしれません。 もちろん今回の物語はレジーナの洗脳(?)打破という、17話とは 別要素によるものですが、マナとレジーナの交流とレジーナの 改心、というストーリーの本質自体は同じものですしね。 まあ、レジーナは洗脳から解けたのではなく、マナに逆洗脳された だけではないか、という見方もできるかもしれませんが(笑)。 自分にとって理解できない行動をしているレジーナを「本当の レジーナではない」と言い張るマナの姿は、それはそれでなんだか 空恐ろしいものはあります(笑)。マナは「あたしの知ってる レジーナ」と友達になりたいのであって、「自分の知らない レジーナ」を否定するのであれば、それは自らの中の理想の 押し付けにすぎないような……とまで言うとさすがに意地悪 ですけどね(笑)。 もちろんレジーナは何らかの理由で「目つきが変わって」いた (面白いメタギャグでした)のですから、マナの言っていることは 結果的に正しかったのですが。 まあ皮肉なことを言いましたが、ジコチューとトランプ王国との 和解の架け橋になろうとするマナの姿はやはり主人公らしく 大きな愛と優しさを感じるものでした。そしてそんなマナの姿に ほだされながら、ラストは連れ去られてしまうレジーナは完全に さらわれたお姫様のポジションになっていますね(笑)。 [No.2440] 2013/06/16(Sun) 10:01:04 |