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ということでキュアエースのCVは驚きの釘宮理恵さんでした。 スイートの時のミューズは、正体が声バレしないように、一切 しゃべらせない、という方法を取っていましたが、エースの場合は 既存のキャストにはいない声優さんを持ってくる、という なかなか思い切った手段ですね(笑)。いや実際、予告に登場した 謎の少女の姿を見ると、エースは誰かの変身なのではなく、完全な 新キャラなのかもしれません。登場の際にアイちゃんの声は 聞こえましたが(笑)。 さて、エースの登場はラストに少しだけで、本編はあくまでマナと レジーナのお話でした。 レジーナは17話で改心して即悪堕ちし、20話で洗脳解除されて 今回また洗脳される、という素敵な天丼(笑)。 正直、このしつこい繰り返しはシリーズ構成としてはあまり成功 しているとは思えませんが、まあ、キカイダーが毎回ギルの笛に 操られるようなお約束のネタというか、持ち芸の一つとして 割り切ってしまえばいいのでしょうかね(笑)。 その場その場で話を引っ張るためには、レジーナがあっちこっちに フラフラするのは便利なのでしょうが、全体を通して見た時の 物語のバランスというようなものはあまり考慮されていない気も します。 ただ、レジーナが洗脳される際に、自らのプシュケーが黒く 塗りつぶされたのは印象深いところでした。レジーナ自身も 人間の綺麗なプシュケーを強引に黒く塗り替える、ということを これまでに行っていたわけで、自分が今回はそれと全く同じ目に あった、というあたりに製作側のさりげない皮肉というか 応報的なものを感じます。 また、その場面で明らかにレジーナを説得にかかっていたキング ジコチューの姿もインパクトが強かったですね(笑)。最終的には 無理やりジャネジーを植え付けてしまいましたが、そこに至る までには、あくまで言葉で懐柔しようとしていた、というのは 面白い部分で、キングジコチューの性格(?)のようなものも 伺えます。 本編に戻りますと、相田家で歓待され、またピクニックで 楽しんでいるレジーナの姿は可愛らしく、魅力的でした。 そしてそれと同時に、愛情あふれる家庭というものが、ただ単純に 幸福なだけのものではなく、レジーナにとっては温かいと同時に 苦しく切ないものだ、という反動の部分もきちんと描いていたのが 印象に残りますね。 負の面というわけではありませんが、レジーナのような環境の子に とって、初めて与えられる愛情が純粋で惜しみないほど、逆に 自らの胸を締め付けてしまうものでもあるということでしょうか。 そして「愛」のそういった癒しの裏返しとでも言うような、 人を傷つけることもあるという側面は、おそらく愛の戦士たる マナの知らない部分なのでしょうね。 洗脳されたレジーナの言い放った「偽りの愛の戦士」という言葉は 愛情に満ち溢れているからこそ本当の愛を知らないマナの姿を 痛烈に指摘した皮肉なのかもしれません。 10話での、一人だけ「嫉妬」の感情を知らないように見えたマナの 姿もどこかオーバーラップするところですね。 ラブリーフォースアローでレジーナを撃てないハートの姿、と いうのもまた、マナの「愛」に実はそこまでの覚悟の裏付けがない ことを示してしまったものかもしれません。むしろ他の三人の方が ためらわなかったというのが面白い対比ですね。 まあLFアローは攻撃技ではなく浄化技だというのは、これまでに 倒したジコチュー達から綺麗になったプシュケーが抜けて帰って 行くことからも分かる通りですし、ハート自身も以前石化した 仲間を回復させるために仲間に向かって技を撃ったりもしている ので、今回だけはなぜレジーナを撃つのをためらうのか、と いうのは何となく違和感を覚えるところではありますが(笑)。 今回他に印象に残ったシーンというと、冒頭でジョーと王女が キスしようとするのを見つめるマナたちでしょうか(笑)。 1カットの表情にそれぞれの性格が端的に表現され、なかなか 味わい深い場面でした(笑)。手で顔を隠すふりをしながら ガン見しているマナや、自分でキスを提案したのに恥じらっている (でも目は逸らさない)六花、いまだにジョーと王女の仲を完全に 認めているとは言えないように見える真琴、良く分かっていない レジーナ、そしてセバスチャンに目隠しされているありす(笑)。 まあ中学2年ですし、そういうことに興味津々な年頃では ありますよね、みんな(笑)。 [No.2456] 2013/06/30(Sun) 09:58:50 |