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次回予告がなんか大変なことになっていましたが(笑)、それは さておいて、エースの売り込み月間に絡めた個人回シリーズ、 マナに続いては真琴のメインエピソードでした。 でも大体美味しいところはエースが持っていったような気も しました(笑)。その回の主役であるキャラクターと、エースの 露出の両立はなかなかバランスが難しいかもしれませんね。 それでも、真琴の本質的に抱える問題を正面から取り上げた エピソードとして、興味深い話ではありました。 エースの人間名は円亜久里。「円」は、「A」の字形相似から 取った苗字ですかね。そして名前の亜久里はAのイニシャル、と いうところでしょうか。年齢も4年生とはっきり示され、 スイートのアコちゃんに続く小学生プリキュアとなりました。 基本的にきついことを言うキャラクターであることに配慮してか 今回はあざと可愛い部分を極端に強調していましたね(笑)。 冒頭で真琴の歌にダメ出しするシーンも、言葉の内容はかなり 辛辣なものなのですが、口の周りにクリーム付けながら話すという 間抜けな絵ヅラのおかげで(笑)、その印象がやわらかく 抑えられており、効果的な演出でした。可愛いし(笑)。 本題は自分の歌う意味について悩む真琴。 実際、王女を見つけるために歌っていたわけですから、その目的が 達成された以上はもうアイドルの意味はないのでは、というのは 自然な悩みではありますね。流れ的には、王女探しにかまけて 仕事がおろそかになってしまった15話を受けたものとも 言えるでしょう。 ただ、15話での感想にも書きましたが、5話や6話の真琴は 仕事そのものに真摯に向き合っていたと思えましたから、 それに対して15話や今回の真琴の姿は、なんとなく調和しない ように見えなくもありません。 まあ、5話の時点では目的と手段の重要性が完全に一致していた からこそではあり、そこに乖離が生まれてしまえば悩みもするのが 当然かもしれませんが。 そんな悩める真琴を励まそうとあの手この手を使うマナたち。 マナのお面作戦は相当アレでナニでしたが(笑)、そのお面を ニセモノと見破る真琴の論拠が「王女様はまこぴーとは呼ばない」 ってのもまた輪を駆けて凄いものでしたね(笑)。 まあさすがに、マナもあのお面で本物の王女だと真琴を騙せる つもりではなかっただろうと思いたいところですが(笑)。騙して 元気づけても仕方ないですし、それはやってはいけないことでも あるでしょうからね。マナとしてはあえてバレバレの道化を演じ、 それだけ周囲の人間に真琴の歌が求められているのだということを 分からせたかった、という感じなのでしょうかね。真琴の気持ちに もう少しゆとりがあれば、そうやってわざとピエロを演じたマナの 意気に感じてくれたかもしれませんが、真琴は悩み始めると結構 視野が狭くなる子だと言うことを計算に入れていなかったのが マナの失敗だったと言えるでしょうか(笑)。 しかし、結局は真琴は王女に励まされて立ち直るわけですから マナの着眼点自体はまさしく正鵠を射ていたものであったわけ ですね。 もっとも、冒頭で亜久里に指摘された「プロとして」の歌い方の 問題だとするなら、真琴の歌は自分のためではなくファンのためで あるべきだったのかもしれませんが。 もうひとつの問題は、最終的にやっぱり「王女様に依拠している 真琴」という関係性自体は変わらなかった、ということかも しれません。 まあ真琴自身が歌が好きなのだということを自覚し直し、誰の ためでもない自分の楽しみのために歌うのだ、という気付きは 王女から一歩自立できたのでしょうが、それを王女自身の 諭しで導かれてしまうのは若干問題のある見せ方だったかも しれませんね。前回、マナはエースの言葉によらず、自分自身の 気づきで立ち直ったことと比べると、そのメンタリティの差が 一層浮き彫りになってしまいます。 ……って言うか王女様がしゃべれるってのもなんかちょっと ずるいというか、それは逆に今後の展開を縛りそうですが(笑)。 真琴の歌が好きだという気持ちをジコチューだと指摘してきたのは 興味深いところでした。これまではマナの独善的な姿勢がたびたび 描かれ、それもまた善意からの一種のジコチューであると言う 感想を持って来ましたが、今回は劇中でもはっきり、プリキュア サイドにもジコチューの心があると示されましたね。つまり、 ドキドキの方向性は必ずしもジコチューを全否定するのではなく、 それをどのように自らを大切にする方向へ適用するか、という 着地点を探す形になって行っているのだろうなと考えられますね。 [No.2476] 2013/07/14(Sun) 10:02:10 |