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第二期個人回シリーズの三話目はありす回……ありす回? セバスチャンまたはマーモの回だったような気もしますが まあありす回ということで(笑)。 前々回のマナ回が彼女の初めての挫折とそこからの立ち直り、 前回の真琴回が彼女の歌う意味、と、個々に抱える深いテーマを 描いていった中、ありすの回は彼女本人を強調して前面に 推し出すのではなく、セバスチャンの人物描写を通じて、 その「リフレクション」としてありすを語ると言う、面白い 見せ方になっていました。一話の中に三回もバトルがあった構成も 含め、ちょっと冒険した感じの切り口ですね。 まあ、素直にありす主役にして構成しても良かったんじゃ、と 思わなくもないですが(笑)。 ありす個人が抱えていたテーマで最もシビアだったのは、彼女の 暴走癖だったと思いますが、これはすでに13話で克服されて います。では今回は何を主題にするのか、という点に興味が ありましたが、「お互いに守りあう」という視点の発見でしたね。 単に戦闘時の役割分担的な意味でロゼッタが守護担当というだけ ではなく、ありす個人の日常的な思考としても、その高い精神性と 能力から、往々にして「自分が仲間を守る」という方向に傾きがち だったところを、ありす自身もまた守られているのだ、と 気付かせるというのは、王道ではありますが妥当な着地点だったと 言えるでしょう。 ありすにとって過去からの決別が13話、そして未来への成長が 今回、とも位置付けられるでしょうか。 前回の個人回である13話で「攻撃」することを学んだロゼッタが 今回「守り守られる」意味を知る、というのも対応していると 言えるでしょうかね。 そういった感じで意外に真面目なテーマが伝えられていたとは 思いますが、でもやっぱりギャグ回でもありました(笑)。 これまでは常にクールで頼れる存在だったセバスチャンが、 慌てたり焦ったり涙したり、といった隠された多彩な面を見せて くれたのは意外な面白さがありましたね(笑)。 そのように結局印象に残るのはセバスチャンになってしまう、と いう意味では、ありすはやっぱりちょっと不遇なのかも しれません(笑)。 まあ一番の突っ込みどころは人工コミューンという発想なの ですが(笑)。他作品で言うと鋼鉄聖闘士とかアギトのG-3、 龍騎のオルタナティヴ、あるいはソルテッカマンとか そんな感覚ですかね。ハートキャッチのダークプリキュアも 「人造プリキュア」という意味では同じで、必ずしもその着想 自体が目新しいものではないのですが、しかしこちらは量産化も 可能に見えるという意味ではより恐ろしいかもしれません(笑)。 「女の子は誰でもプリキュアになれる」から一歩進化して、 「人間は誰でもプリキュアになれる」への道を開いたもの、とも 言えるかもしれませんね(笑)。もっとも、「変身の特殊性」、 といった本質部分にも関わるものとして、バカ話に見えて結構 デリケートな話題ではあるのかもしれませんが。 今回のもう一人の主役はマーモ。 善行をしているように見えて実はマッチポンプだった、というのは いかにもジコチューらしい言動ですね(笑)。以前もちょっと 書きましたが、ジコチュー達はまさにジコチューであるがゆえに、 本来の任務から外れた行動をしていようと、物語的にそれが 不自然ではなく許される、と言うのは実に便利な造形だと 思います(笑)。 人工コミューンの力で善の力が芽生えた、というわけではなく、 本質は変わらないままだったようで、そこがまあ人工製品の限界 でもあったのでしょうか。コミューンの力で一時的に改心した、と いう展開でも面白かったかもしれませんけどね。 [No.2484] 2013/07/21(Sun) 09:53:29 |