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マナの代名詞である「幸せの王子」を掘り下げて描写した エピソード。幸せの王子という言葉は多用されていたものの、 その内容自体はこれまでのストーリーの中できちんと紹介した ことがありませんでしたから、視聴者の小さいお友だち向けに 分かりやすいように配慮した回ということでもあったのかも しれませんね。 人を支える性格のマナと、叱咤督励する性格の亜久里というのは 確かに幸せの王子のエピソード解釈において対極に位置する キャラですから、この二人をメインに持ってきた構成も 納得できるところです。まあ、幸せの王子回であるなら、もっと 六花も絡んで欲しかった気はするのですけどね(笑)。 さて、マナと亜久里をメインに据えると言うポジショニング自体は そのように理解されますが、本筋の展開においてはどうなの でしょうかね。 生徒たちのケツを蹴飛ばして回っていた亜久里が、最終的には 「マナが正しかった」というのはなんだか違う気がします。 少なくとも、亜久里の叱咤があったからこそ生徒たちが自立 したのであって、それはマナのやり方によって得られた、あるいは 得られたであろう結果ではないはずですね。……いやまあ、 小学生に叱られるというのはどうなんだろうというのは 置いといて(笑)。 今回はむしろマナの方が、自分の過剰な人助けへの強迫観念を 自省すべきエピソードになるべきだったところでしょう。 現実問題として、当日に倒れて一番みんなに迷惑をかける結果に なっていますし、また以前の回でも、首を突っ込み過ぎて結局 六花に尻ぬぐいをさせているように、他者にも面倒をかけるわけ ですしね。そういった負の面をもたらすこともあるマナの お助け衝動の不自然さを、一度きっちり整理して欲しかった気は します。 そこはどうしても、主人公であるマナが間違っていない、という 方向に描かなければいけないという事情なのかもですが。 もちろん、マナがこれまで身を粉にしてみんなのために働く姿を 生徒たちが見てきた、それが生徒たち自身の心の中にも、 いつしか献身と助け合いの種をまいていたのだ、という展開自体は 分かりますし、メッセージとしてはそれもアリだとは思うの ですけどね。しかし、種をまいても芽が出なければ意味がなく、 そして芽を出させたのは亜久里の檄であったというのもまた事実 なのではないかと思います。 そういう意味では、「マナが正しかった」ではなく、せめて 「マナも正しかった」であるべきなのではないかとも思えますね。 まあでも、絵本を読んで本気で心配になってしまう亜久里は ちょっと可愛らしかったですが(笑)。 [No.2563] 2013/09/15(Sun) 09:35:11 |