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六花のお当番回。シリーズ構成的には、真琴回・ありす回と来て 亜久里回を二回挟んだ後に六花回ですから、ちょっとバランスが 悪い感じではありますね。今回をクリスマスに合わせ、また レジーナとの関係を明確に進展させるためには、六花回を最後に 持ってくるように配置するしかなかった、ということでも あるのでしょうが。 キーパーソンであるマナを外すことでプリキュアを弱体化 できるのではないか、という発想は妥当なところ。いや今回は 思いっきり失敗はしましたが(笑)、7話や31話などを見ると 基本的にはみんながギリギリまで追い詰められたところで状況を 打開できるのはやはりマナしかいないわけなので、レジーナの 考えは、その着想自体としては間違っていないと思います(笑)。 ただ、単にマナを外すだけではなく、より絶望的な状況に 追い込んで初めてそれは効果がある、というところまで考えが 至らなかったということですかね(笑)。 さて、本編は六花が主役。というよりは、やはりマナとの関係に おいて語られました。マナと六花の強固な絆と相互の想いが これでもかと言わんばかりにクローズアップされ続け、 「好き」や「愛してる」というセリフも乱れ撃たれる、 ある意味ものすごいエピソードになっていたと思います(笑)。 個人的には、こういったお話が大好物であることは全く否定する ものではありません(笑)。むしろ最近は少しマナと六花の こういった場面が少なかっただけに、旱天の慈雨という感じさえ ありました(笑)。 ただそういった自分の趣味嗜好とは別に、少し落ちついて 考えて見ると(笑)、結局六花は最後までマナへの強烈な思慕と いう根本的な意識部分から脱却することができないまま終わる、と いうことになり、それは六花の成長物語として一年のシリーズを 見たときに、果たして妥当なものと言えるのだろうか、とも 思えなくもありません。六花はこれまでに自分の夢について悩む エピソードがいくつかあり、その自立も見えていただけに、 結局ラストでまたマナの元へ戻る、という展開はちょっと考え させられるものはありますね。 もちろん、今回のセリフで言及されていたように、高校生や 社会人になった時のことを六花はもう考えており、その時は マナとは一緒にいられないのではないか、という気持ちが既に あるということ、またそれを乗り越えてラストに言った 「離れていても離れていない」というセリフが、彼女の中の 一つの答えでもあるのでしょうが。しかしそれは逆に言うと、 そこまで突き詰めて考えないとマナとの関係を整理できない 六花の、言ってみればアンバランスな心理状況を物語るものでも あると言えてしまうかもしれません。 さて、六花以外にも、今回はレジーナがはっきり自分の気持ちを 認めた、という意味でも重要なエピソードでした。そして、 レジーナにその感情を認めるよう促したのが六花である、と いうのがまた面白い配置ですね。というのも、六花にはあの 印象深い10話の嫉妬回があるわけで(笑)、マナへの独占欲と いうものが尋常ではないことが語られているわけですが、 それを乗り越え、あえて自分からレジーナとマナとの関係を 取り持つ(笑)というところに、六花の成長が見える、と 言うこともできそうですね。ハーレムを容認できるように なった、というか(笑)。冒頭にも書きましたが、だからこそ 六花の個人回が構成全体の最後に置かれなければならなかった、 ということでもあるのでしょう。 さて、本編が六花・レジーナ・マナの濃厚なお話(笑)だった ためにうっかり忘れそうになりますが、マーモとイーラの 無理やり感あふれる変装も楽しいところでした(笑)。ベールの ジョーへの変装はあっさり見破ったマナたちがなぜ今回は 騙されたのか、とも思えなくもないですが(笑)。 [No.2615] 2013/12/15(Sun) 10:00:07 |