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人間界に迫るキングジコチューと、それに立ち向かう プリキュアたち、という素敵にヒーロー映画というか怪獣映画的な シーンから始まりました(笑)。オールスターズNS1の冒頭も こんな感じでしたが、プリキュアという作品の根底にはやはり ヒーローものの因子がしっかり刻まれているのだな、と感じる ところでもありますね。プリキュアシリーズの最終決戦は異世界で 行われることが比較的多いように思いますが、人々の目の前で戦う プリキュア、という構図も、視聴者のテンションが上がる効果を 生み出すような気がします。 今回明かされたトランプ王国滅亡の理由。危機に追いやられた 王国の人々が勝手にプシュケーを黒化させてジコチュー化して しまった、というものでした。なかなかシビアな設定で、 製作側の人の心に対するシニカルな態度が伺えるところでも あります。それを自己中といえばいえるのでしょうが、 哀れむべき弱さでもあるのでしょうけれどね。 そのトランプ王国の人々に対し、大貝町の皆さんが助けあいを していた、というのはいいシーンではあるのですが、対比的に トランプ王国の人々はそんなにダメ人間ばっかりだったのか、と いう話にもなってしまいそうな気はします(笑)。もっとも 大貝町の人々は一年に渡るプリキュアたちの活躍の影響で 知らず知らず黄金の精神が広がっていたからだ、ということ かもしれませんけれどね。 今回の本筋はまずハートとレジーナの和解。マナが好きだという レジーナの本心はすでに44話で六花によって引き出されて いましたので、ここに至る道は作られていたというところですね。 ただ、劇的な展開にするなら、44話ではなく今回でようやく レジーナが本心を認める、という展開にしても良かったかも しれません。 まあこれまでも、「マナが好きだけれどパパも好きだから パパの味方をする」という言い方をしていましたから、 今回の「パパも好きだけれどマナも好き」というのは言い方の 順番を変えただけにとどまります(笑)。しかし、その言い方の 順番を変えたということ自体に大きな意味があるのでしょうね。 個人的にもうひとつ注目したかったのは、キングジコチューに 対してダイヤモンドが言った、「自分にもそういう心(独占欲)に 覚えがある」というセリフ。もちろんあの10話を下敷きにしている わけでしょうが、10話は六花のメインエピソードであるだけでなく キングジコチューの内面を描き、さらに愛の本質について語る ための、作品全体の骨子を支える重要なエピソードにもなって いた、ということですね。 ……いやまあ後からの当てはめなんでしょうけれど(笑)、 それでも上手くこの場面に当てはまっていたことは確かなように 思います。 また六花自身の心情変化についても、このセリフでようやく解決が なされた、と見ることができるでしょう。10話ラストでは、六花は 嫉妬心は誰にでもある、自分だけではないんだ、と気付いたに とどまり、ではその心をどのように克服するのか、という 部分については10話内でも、またその後の話でも特に語られ なかったため、消化不良感がないわけではありませんでした。 無論、レジーナを必死で説得しようとしていた行動から、 六花の心が変わったことを見て取ることはできましたけれどね。 しかしセリフとして明確に、彼女が嫉妬心・独占欲と折り合いを 付けることができた、と語られたことで、六花のストーリーも ここできちんと畳まれたのだな、と感じることができました。 さて、ラスト二話ですが、次回でキングジコチュー戦は片が 付きそうな気もしますね。最終回はさらにもう一戦あるのか、 それとも後日談になるのかな? [No.2629] 2014/01/12(Sun) 10:04:35 |