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ラスト付近で封印されたワールドプリキュアが解放され、全員の 力を合わせて反攻に出る、というのがオーソドックスなパターン ですかね。それはそれで一種のカタルシスにはなりそうでは あります。もっともその場合、見ず知らずのプリキュアが復活して 助けに来るよりも、一度くらいはめぐみたちとワールドプリキュア たちが顔合わせをしていた方が盛り上がり方が違ったかも しれませんが。しかしそうしてしまうと、封印された顔見知りの 仲間がいるのに潮干狩りに行こう!という話にはできにくいかも しれませんね(笑)。 「ヒーローが実在する世界」における「架空のヒーロー」の扱い、 というのはそれだけで一つの作品が作れそうな複雑な問題性を 感じます。ヒーローはあくまで架空の存在だからこそ そこに自己を投影するなりきりや憧れの対象になりうるのであり、 いわばその架空性こそがヒーローの本質的な要素の一つであって、 すなわちヒーローが実在する世界内それ自体では、ヒーローは ヒーローとして(我々の使用するタームと同じ意味では)認識 され得ないのではないか、とか今適当に考えてみましたが まあ別にそんなこともないですかね(笑)。実在するアイドルとか スポーツ選手だってヒーローですしね(笑)。 [No.2711] 2014/05/10(Sat) 16:45:36 |