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なんとなく前回ふわふわなまま海賊側に赴いてしまったように 見えるベルリでしたが、今回のベルリのアイーダに対する「借り」 のセリフでなんとなく腑に落ちた感じもします。カーヒルの死に 対する負い目がベルリの一つの動因になっているわけですね。 もっとも、それはカーヒル個人の死に対して自己を責めていたり 罪の意識を感じているというわけではなく、カーヒルを失った ことでアイーダが悲しんでいるという、あくまでそのことに 対しての「借り」にも見えます。まあノレドが言っていた通り、 最初に攻めてきたのは海賊側なので、ベルリはそれに対応したに 過ぎず、必要以上に罪の意識を感じることはないともいえるの でしょうが。 今回キャラクターとして印象に残ったのはデレンセン教官。前回に 引き続きクリムを圧倒する手並みを見せてくれました。クリムの 手腕もその前のシーンできちんと描いているわけで、クリムも 確かに自己の言うとおり天才なのだけれど、デレンセンがさらに その上を行く、という力関係が分かりやすく見えていますね。 ラスト、撤退する中で失った部下を思い慟哭する姿とも合わせ、 キャピタルアーミィ側の「大人」としての存在を強く訴えて いました。 ……で、ここで気になるのがED映像で、カーヒルとデレンセンに 両脇を抱えられたベルリの姿があるんですよね。カーヒルは既に 故人ですから、対応という意味ではデレンセンも……という予想も 出来てしまいます。しかもそれがベルリのせいで、ということにも なるのかもしれず、ベルリは両陣営の要となる「大人」を手に かけてしまう、ということになるのでしょうか。 大人といえば、今回ベルリと母の関係も描かれました。お母さんは ベルリの身を案じているのですが、ベルリはそれを理解して いない、という、一種の断絶が見えますね。それを「子供の見方」 とサラッと流すドニエル艦長の態度も興味深いものがありましたが ベルリも特に色々拗らせてはいない子なので、性格的な問題とか 家庭環境の問題というよりは本当に単なる「子供」なだけ、と いうことなのかもしれません。富野アニメにしては比較的珍しい それなりに良識ある親に見えるお母さんなので(笑)、いずれ 和解して欲しくもありますね。 設定周りも色々と語られ、科学の発達を制限する教えの存在が 明確になりましたが、そのわりには種々のマシーンを使用して いたりして不思議なぎこちなさとでもいうような感覚が ありますね。大局的な世界観でいえば、いずれ牧歌的なターンAに つながるような流れになるのでしょうか。なんにせよ、この 自然回帰の教えをどのように最終的に処理するのか、は興味のある ところです。科学技術否定の方向に行くのか、それともやはり 科学の発展を認める方向に行くのか、は、本作のテーマという 観点からも重要なポイントになりそうですね。 [No.2816] 2014/10/19(Sun) 20:30:20 |