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視聴者からするとどうしても富野アニメにおける親の行く末と いう情報がインプットされている以上、そういう見方をさせられて しまうわけですよね。そこを逆手に取ってウィルミット押しの 描写を盛り込み、「見たくなったでしょ?」をやってのける 作り手の、褒め言葉としての意地の悪さのようなものが楽しくも あります(笑)。 作品全体の傾向としても、「最近の富野さんは白いから大丈夫 のはずだよね」と言うファンの無意識的な安心感があった部分を やはり逆に利用しての今後への興味を抱かせている、ともいえる でしょう。いわば、富野さんはまさに御自分自身を一つの ガジェットとして作品要素的に位置づけているともいえるかも しれませんね。 無論そういった作り方はある意味歪んではいるのでしょうが、 現実問題としておそらく大方の視聴者が「富野さんの文法なら こうだ」的な見方をしてしまう以上、それを否定せずにあえて 自家薬籠中のものにするというのは、一つの手法として効果的 なのは事実なのかも。 ただ、そういった「トミノ的なあり方」を受け止めた上で そこでとどまるのではなく、さらにそれを何らかの形で 再構成していくのが「リギルド」であり「レコンキ(ギ)スタ」の あり方として望まれるものであるのかもしれませんが。 [No.2838] 2014/11/13(Thu) 20:35:20 |