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三幹部はそれぞれひめ、ゆうこ、いおなの鏡映しの姿のような キャラクターであったということになるでしょうかね。 怠惰で他者に向き合う勇気がなかった過去のひめや、己の力を 頼るのみで他者との協調を避けてきた過去のいおなは、まさに ナマケルダやオレスキーがその鏡像であったと言うことが 出来るのでしょう。まさに彼らはひめやいおなが辿り得た 可能性としての「最悪の未来」の姿であったのでしょうし、 またそれゆえにこそ立ち向かい、浄化することに意義があったの でしょう。一方、ホッシーワとゆうこに関してだけは今一つ その辺の共通項が見当たりませんが(笑)。ゆうこも過去は 美味しいものを独り占めしようとしたことがあった、というような エピソードが実はあるのかもしれません。 そのゆうこ/ハニーとホッシーワのバトルは、一見おやつの 食べ方についてのコミカルな言いあいに見え、プリンセスや フォーチュンの激しいバトルと比べて何か浮いているようにも 見えましたが(笑)、実際は幸福の在り方についての相互の 観点を、お菓子の食べ方に象徴的に仮託しての議論でした。 このあたりは劇場版プリキュア5GoGo「お菓子の国のハッピー バースディ」のムシバーンを思い出すところでもありますね。 この映画も、いいおじさんが単にお菓子を一人占めしたいから 大騒動を起こしたのか、という見方をするとただのコメディ なのですが(笑)、その奥にある、幸福を得られないムシバーンの 孤独や哀れさ、また女王との擦れ違いの悲しみなどを思うと 深いものが伺えもする作品で、自分は結構お気に入りだったり します。この映画を踏まえた上で、オールスターズDX3で 再生されたムシバーンを再びドリームが倒さなければならなかった 場面の彼女の痛切な表情を見ると、非常に胸に響くものが ありますね。 で、まあその「お菓子の国」との比較でいうと、ちょっと 重みというか深みは足りなかった科に見えるホッシーワとハニーの やり取りではありました。とはいえ、この二人のキャラクター性を 考えると、このくらいのやり取りの方がむしろ相応しかったのかも しれませんね。 ホッシーワを含め三幹部の素姓が明確に語られないままで 終わったのは賛否のあるところかもしれません。まあ最終回 あたりにちらっと語られるのかもですが、特にナマケルダと オレスキーは何らかの複雑な過去を背負った上での現在のような 人物像に至ったことがほのめかされており、そのあたりの経緯に 興味が持たれていたことは事実であるように思います。それを 考えると、彼らの過去が特に明示されないままで終わったのは やや肩透かしではありますが、逆に、想像の余地を持たせたままで 終わるというのもある意味余韻があるのかもしれません。ただ そう考えた場合でも、三幹部をまとめて一話で片付けてしまうと いうのはちょっともったいなく、一人一話とは言わずとも、 もう少し彼らの最後をじっくり見たかった感はありますね。 今回は全体的に作画・演出がちょっと息切れしていた感じ でしたが(笑)、ミラージュとの決戦に臨む次回はなかなか 迫力のある見せ場になりそうです。期待したいですね。 [No.2864] 2014/11/30(Sun) 18:54:01 |