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油断させておいて、一気に人員整理に乗り出しました(笑)。 いや実際画面的には綺麗でしたけどね。 ユグドラシルのテンダービームは、SF的こだわりが強い本作の中に あって、独特のファンタジックで幻想的な描写を持って絵作りされ 強い印象を残しました。そのビームで多くの人間が命を落として いくという冷酷な現実、またこれを操るバララの狂気めいた 表情と言動が、美しい画面といい対比になっていましたね。 ドレット、グシオン、そしてバララが今回のメイン退場者。 もっともバララはユグドラシルから脱出していたようにも 見えますので生存しているかもしれませんが。 バララは前述のように、ユグドラシルを操りつつ、これに飲まれて いるのではないかとも思える鬼気迫る姿が描かれていました。 出撃前、マニィにマスクを譲ったように見せておきながら その内心はマスクへの未練とマニィへの感情がドロドロと渦を巻く 生々しくも禍々しい女の情念を見せてくれるキャラとして、一気に 強烈な印象を残しましたね。 マニィに「自分はもういい思いをしたから」と言い残して出撃 するところまではいわゆる「いい女」でいられたでしょうし、 そこで完結してもバララはキャラとして仕上がったと思うのですが あえて内心はそうではなかった、とすることで、もう一段 人物像としての面白みを作り上げていて興味深い子でした。 そして、バララとマニィにそこまで想われるほど、マスクは 価値のある男性なのか、という皮肉な部分も突きつけていた ともいえるでしょうか(笑)。 ベルリと友達になって欲しいというマニィと、これを拒むマスク との会話は、マスクがいかに妄執と嫉妬、怨憎に凝り固まって しまった人物であるか、という哀れな姿を端的に示していました。 マスクを単に小人といいきるのは簡単なことかも知れませんが、 クンタラという重い設定が事実としてあるだけに、器が小さい だけの男だとも断じ切れない部分はありますかね。 しかし、クンタラの出自が、そのマスクの我執の最も根源になる 部分である以上は、もっと作中ではっきり分かるように具体的に クンタラとは何だったのか、を描くべきであったかもしれません。 ドレットとグシオンという、いわば「老人たち」が人員整理の 先頭に立ったということに一定の意味合いを見出すことはできるの かもしれません。しかし、若い世代の代表の一人であるマスクも また結局過去の怨念に縛られたままであるというのは悲しい事実 ですね。単純な世代の括りだけでは乗り越えがたい相互理解の 断絶が作中で明確にされ始めているとも言えるのかも。 そして主人公であるベルリ自身もまた、この戦いそのものや、 その背景である価値感・観念の違いに対して能動的に挑戦して いくという姿勢を見せてはおらず、そこに物足りなさを感じなくも ありません。 そうであるだけに、本作がどのような着地を見せるのかが 関心の持たれるところであるとも言えるのでしょうけどね。 [No.3028] 2015/03/15(Sun) 20:21:24 |