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Zあたりの時代だと、この言葉がネガティブな意味を持って 語られていたように思いますが、Gレコの場合は地球への帰還が 必ずしも否定的な意味ではなく、むしろ本来あるべき姿として 捉えられているように見える、というのは比較すると面白い ところですね。Z時代の文脈で解すれば、結局人は翔べないままに 終わるものなのか、という憐みを覚えなくもないのですが。 次回最終話のタイトルが、ガンダムを知る者なら誰しもがはっきり 覚えているあの文章だと言うことにノスタルジックな意味合いを 持たせるだけでなく、「大地」というものの重みを象徴させ そこに「立つ」、立脚しそこから始める、ということに重要性が あるということではあるのかも。必ずしも大地に縛られたままに 終わるのではなく、ムタチオンのような歪んだ形ではなく 改めて飛び立つ時代もいずれ来るのかもしれませんね。 ……まあいきつく先は結局ターンAなのですが(笑)。 さて、「重力に魂を引かれる」という意味では、今回目立ったのが 「男の重力に魂を引かれた女」とでもいうべき人々でした(笑)。 マッシュナーは完全に壊れてしまっていましたが、周囲の人々が そのマッシュナーを見て平然と……でもないですが、少なくとも 反抗したり、また拘束や隔離したりしないで従っているのが、 輪をかけて怖かったかも(笑)。一応ドレット将軍の遺言に 従おうと言うことはあったのかもですけどね。ビーナスグロゥブの 人々が、戦場の光に誘われて行ってしまったように、戦場の熱気に 当てられてまともな判断力を失ってしまっている、ということの あらわれでもあるのかもしれません。 そしてもう一人、マニィもまたルインの存在に引っ張られて 怖い少女になってしまっています(笑)。マニィとルインが 共に大気圏突入をする際、二人だけの時間の中ではお互いに まともで微笑ましくさえある思いやりを見せているのが これまた逆に恐ろしいところですね(笑)。 前話ではベルリとの和解の仲立ちをしそうな雰囲気だった マニィが、すっかりルインの側に立ちそれを疑わない行動を してしまっている、というのは、バララの存在もやはり 大きかったのでしょうか。 そのように、理性的な判断を情念が狂わせてしまう、というより ほぼ現状は各人とも情念のみ、それも個人の情念での戦いに なり果ててしまっていると言うのが哀れを催します。 ベルリはそんな中で、Gセルフの凄まじい力で「人を救う」 ことへの気づきがありましたが、ここにきてようやくといった ところでしょうか。ベルリ自身、最初から非常に個人的な感情で 動いていただけに、ようやくあるステージに立てたということ なのかもしれませんが、全体の流れとしてはややぎこちなさを 覚えもしますね。 次回は最終話。どのような帰結を見るのでしょうか。 [No.3036] 2015/03/22(Sun) 20:00:17 |