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……立ってない?(笑) いやラストはマシーンではなく、ベルリ自身の「足」でしっかりと 富士山に登り、「大地に立つ」をして欲しかったかな、とちょっと 思います。 まあ象徴的な意味合いでしかないのですけどね。もっとも、 もともと忌避されていた存在であるマシーンを、ポジティヴな形で 使いこなして、それにより見聞を広めていくというのは、 いい意味でタブーを乗り越えたということでもあるのかも しれませんが。 ということで最終話。 「伊達じゃない」や「鈴を鳴らして」など、歴代作品を想起させる 言い回し、そして朽ちたズゴックなどのサービスカットも 盛り込まれて、本作のみならずガンダムという一連のシリーズの 一つのまとめ的な位置付けを狙った印象を受けますね。 ラライヤの言うところの、兵器を玩具にして遊んでいる人間たちは ほぼ一掃されてなんとなく終戦(笑)という形に。いやまあ クリムもかなりそれに近い、危うい立ち位置でしたから、死んでも おかしくなかったのですけど(笑)。なんとか生き残ったのは、 さすが天才というところでしょうか(笑)。 まあクリムの場合は、古い世代である父親を否定して行く新しい 世代、という存在理由があったために生き延びられた、という 感じで解することが出来るのでしょうけどね。 その一方でウィルミットは生存。ある意味ほっとしましたね。 生き方の違いを明確にしつつ、それでも相互を思いやる関係を 新たに築くことが出来たことで彼女は生き残れたのかな。 グシオンもそれに近いところまでは行けたのですけどね。彼の 場合は戦争に主体的に関わってしまったことが命を縮める結果に なってしまったのかも。 そのように戦いを弄んだ者たちが滅んだということは、クンパの 思惑がある意味で打ち砕かれたことを示したものでもあるかも 知れません。クンパの意図は戦争を起こすことで人類を活性化 しうるのではないか、というものでしたが、実際に人類が兵器を 与えられて為したことは、子供のようにはしゃいで、戦いを遊びに することのみでした。 もっとも、この戦いがあったからこそ、後の世界で指導者になって いくであろうアイーダやベルリの視野が開けたのだと考えれば、 逆にクンパの意図は達成され、したがって彼は勝者になったのだと 強弁することも出来るのかもしれませんね(笑)。 まあベルリに関しては、アイーダほど明確な目的意識があって 旅をしていたわけではありませんでしたが。また最終回でも、 ベルリは自らが何も知らないということを知ったに過ぎず、 彼が今後どのように成長していくかは未知数とも言えます。 なるべく人の命を奪わないようにしていた終盤の戦いも、ベルリの 視点としてはデレンセン教官とカーヒル大尉という個人的な死の 関わりからこれを忌避するようになっただけではないか、とも 思えなくはありません。そこには、より広い視点や高い観点からの 戦争の否定という次元にまでは、まだベルリは届いていないように 見えます。それでいい、それが最初の一歩なのだ、とも言えるの でしょうけどね。 そのように、ベルリの目的が明確ではなく、また最後まで明確に ならなかった、という部分は、本作の抱える構造的な最大の問題点 ではあったかもしれません。まあ他作品を見ても、別に最初から はっきりとした問題意識を持っていたりする主人公の方が少ないの ですけれども(笑)、主人公の主観的な目的が欠如している場合に それに代替しうる客観的な目標までも提示されなかったん ですよね。つまり敵対勢力であるジオン軍だったりティターンズで あったり、あるいはエクソダスの成功であったりなどという 視聴者の視点から大まかな傾向として把握できる大目標が 本作では存在せず、それがなんとなくふわふわした感を与えて しまった部分はあるかもしれません。 まあ、とりあえず自分で見て聞いて体験して、それから考えろ!と いうメッセージ自体は良く分かりますし、そしてそれが伝われば 十分なのかもしれませんが(笑)。 実際、本作の戦いは、スケールが大きい割に、実は非常に 局所的なものであって、そもそも地球のもう一つの大勢力である ゴンドワンが全く関わっていなかったりもしますね。 この戦いで人々が学んだことが人類を変えていく、などとは、 だから決して言えないわけで、それゆえにこそベルリはラストに 旅立たなければならなかったとも言えるのでしょう。 本作は、論理整合性という意味では大きな欠点を抱えていると 言わざるを得ない作品であったとは言えるのでしょう(笑)。 そして同時に、その乱雑さや、いい意味でも悪い意味でも 適当さ(笑)、から伺える、人の生命力としたたかさは本作を 通じて示されていました。 マスクやマニィの心境についてなども考えるときりがなさそう なのですが(笑)、そのように「考えさせる」こと自体を狙った 作品としてはまさに狙った通りに出来ていたのでしょう。 もっとも、エンタメ作品として「視聴者に考えさせる」ことを 強いる方向性が正しいのかということがさらに問題に なり得ますが、それもまた「考える」ことの一部になって しまっていますね(笑)。 ではこれまでのお付き合いありがとうございました。 また他の作品でもお会い出来ればと思います。 [No.3048] 2015/03/29(Sun) 17:55:11 |