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プリキュアになれる、というのは、プリキュアシリーズの 一つのテーマ的な部分でもありました。もちろん実際には 『なれない子』も多く存在するわけで、例えばフレッシュの ミユキさんとかそんな感じでしたけどね。 ただ、今回のように明確に『なりたいけどなれなかった』という 描写を織り込んでくるというのは、なかなか大胆な、シリーズ 全体への切り込み方であるのかもしれません。 劇場版NSシリーズの主人公であるあゆみは、プリキュアに憧れて いるけど「なれない子」でしたが、結局はプリキュアになることが できました。 そこではいわば『女の子は誰でもプリキュアになれる』幻想を維持 する方向の物語作りをしていたわけですが、今回のゆいの処理は 『なりたくてもなれない子もいる』『でもそれでも意味はある』 という、大袈裟に言うと新しい方向性にシフトしていったのかな、 という気もします。 このあたり、もっと掘り下げてみたい気もしますが、でもあまり こだわりすぎると重たくなりすぎるかな、とも思うので、 今回くらいでちょうどいいのかもしれませんね(笑)。 [No.3134] 2015/08/22(Sat) 19:20:44 |