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5人いればご機嫌、と歌った次の年にしれっとハナちゃんが 入ってたおジャ魔女に近いものがあるでしょうかね(笑)。 歌詞の発注・作成時期と映画の案がまとまった時期がどの程度 間隔が開いているのか、というのをなんとなく感じることが できるという意味でも面白いかも。 少なくともはーちゃん・フェリーチェが三人目というのは初期案 からあったけれど、キュアモフルンに関しては比較的後期に なってから浮上したアイディアということがうかがえる、と 言えるかもしれませんね。 敵性存在の描写が甘いというのは何度となく指摘されてきた 本作の構造的欠陥ですからね。欠陥というか、『倒される 敵キャラに過度に感情移入させないため』と『主要キャラの 描写をより丁寧にするため』の二つの要因から導き出された 意図的・確信的な演出手法ではあるのでしょうが、それが 作品の完成度にどの程度寄与しているのかは、ちょっと考えるべき 点が多いかなという気はします。 [No.3391] 2016/11/27(Sun) 00:11:29 |