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> 沙慈は引き金を引く > よりも誰が何処でどんな想いで死んだのかを伝える事をすべき > ではないだろうかな。 そう考えると、まさに沙慈は絹江さんの遺志を継ぐべき立場に あるのかもしれないという気がしてきますね。実際、必ずしも 直接戦闘にかかわることしか現実と向き合うすべがないわけでは ないのではないか、というのはひとつの切り口として重要なの ではないかという気もします。 もっとも、そういった立場は、一歩間違うと、傍観者・観測者と して、一期での大使やリボンズ、あるいは今期での留美のような ポジションになりかねない恐れがあり、微妙な扱いを要求 されるのでしょうけどもね。 引き金を引くこと。 前番組コードギアスのテーマを思い出すところですが、沙慈の場合 下でも書いたのですけど、まだそこまでの覚悟が出来ているわけ ではなくて、ただ自分の侵した罪から逃れたいという エクスキューズを求めての行動であることが今回は問題になるの でしょうね。そのことで沙慈を責めるのはなお酷であるような 気はしますけれども。 逆にルイスは、自分が殺されかけたから他者を殺してもいいのだと 主張する論理の逆転を体現している位置にいると捉えることも できるのでしょうか。いろいろな意味で沙慈とルイスはまさに 対極の位置にたどり着いてしまったのかなと思わされるところでも ありますね。 [No.465] 2008/11/14(Fri) 21:46:32 |