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というか「エヴァ」は 三石さんの発音だと「エバ」でも「エヴァ」でもなく 「エワ」(あるいは「エワ〜」)と聞こえる……という どうでもいい話を(笑)。 さて、「兵器ではないガンダム」というのは、メタ的には面白い 発言ですよね。そもそも、いわゆる「リアルロボット」(自分は この用語自体は好きではないのですけども)としてのガンダムは メカニックの実存兵器的運用をひとつのメインにしているわけで そこからガンダムというシリーズの歴史がはじまりもしたの ですよね。無論、兵器的運用だけが「リアル」の根幹ではないと しても。 ですが、刹那がここで「兵器」としてのガンダムを否定すると いうことは、俯瞰的にとらえれば、ガンダムシリーズ全体の 大前提への疑問提示、あるいはさらにすすんでそれの否定へとも つながるかもしれない、なかなか挑戦的なセリフと言えるのかも しれません。 いずれにせよ刹那の戦いは、自らの存在基盤そのものに対して 挑戦する(メタ的な意味だけでなく劇中的な意味でも)という 「ぬるい」どころか非常に大胆な戦いなのですが(笑)、 ブシドーにはそういった巨視的なものの見方はできないという ことなのでしょうね。一期ラストでのグラハムという人(笑)の 頑迷固陋が世界のゆがみの象徴的に描かれていたことを思い出し ますが、グラハムやブシドーはまさに「(内面が)変わらない」 人の代表であるのかもしれません。 [No.616] 2009/02/20(Fri) 16:51:48 |