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ラス前です。 刹那が仲間各人の思いを拾っていく場面は、1stのラストで アムロが仲間たちへ個別に思いを届けたのとちょうど反対の形。 おそらく意図的に逆のシチュエーションを作ったのでしょうね。 真のイノベイターとなりわかりあいを促すためのイオリア計画。 脳量子波空間は、一気に全員分のドラマパートをまとめることが できて、なんとも便利な道具だなという感じです(笑)。 ちょこっと話したくらいでわかりあいができるなら、これまでの 経過は何だったのかと思わなくもないところですけどね(笑)。 急にソーマが物分かりがよくなったりとか、ビリーの怨念が 鎮まったりとかも、きっとGN粒子がすんごい癒し的な要素を持って いるからなのでしょう。ということにしましょう(笑)。 ……にもかかわらずサーシェスの狂気はおさまらなかったとか ありますけどね。サーシェスは彼なりの戦う理由を持っている ようなことが暗示されていましたが、その辺はうやむやになって しまったのかな。まあ別に単なる戦争狂でもいいとは思うの ですが、ここで「わかりあい」の例外を早速作ってしまった ことに関しては、テーマ的にどうなんだろうと思わなくも ありません。かといって、サーシェスと分かりあうってのも 気持ち悪いですけどね(笑)。 ただ、こいつとはわかりあえるけどこいつとは無理、という区別が あるのだということを最初から許容してしまったら、それは結局 現状の世界と質的に変化したものとは言えない気もしますが、 どうなんでしょうね。単純な理想社会を無条件で容認しないという 作り手側のメッセージではあるのでしょうけど、それは一種の 照れ隠しにも思えます。 まあ、(あっけなさ、拍子抜けが残るとはいえ)相互理解の場面はそれでいいとしても、結局あの戦場にいた極めて少数の人間たちに しかその交感は為されていないわけで、人間すべてのわかりあいを 象徴させる舞台としては、その規模があまりにも小さいという ことはちょっと気になったころかも。まあ、おそらく刹那が、 ラストには地球全体を光で包むのだろうとは思いますけど。 ただもっと本質的な問題は、やはりそういった人間の革新が 一個人によって人工的に栽培されたという部分になるのでしょう。 人が自らの力で自由を得なければ意味がないと、スメラギさん 自身がセリフで明言したばかりなわけですよね。にもかかわらず 誰かの計画に乗っかって得た超克の力は、それは本当に超越したと いえるものなのだろうか、という疑問は本作の根本的な命題に 関わるものとして残ってしまうのでしょうか。あるいは次回の 最終回でさらに何らかの逆転が用意されているのかな。 [No.683] 2009/03/22(Sun) 18:00:58 |