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おっしゃるように、自らの幸福を求めないことが、ソレスタル ビーイングとしての「償い」「報い」ということなのでしょうね。 そんな抽象的観念的なものが償いになりうるのだろうかという気も しなくはありませんけども。さらにいうなら、刹那自身が現状を それほど不幸だと感じているのだろうかという疑問が出ても 来ますね。刹那が現状に充実感と言わずとも、自らの道に信念を 抱いているのなら、それは償いにはなりえず、また、そういう 刹那を傍から見て、あの人は不幸に違いないのだと決めつける マリナもまた、独善的な価値観の押しつけという意味で、 ソレスタルビーイングやアロウズ、リボンズ達と変わらないの かもしれません。 ……と、まあそこまで意地悪なものの見方をしなくてもいいの でしょうけど(笑)。マリナ自身、刹那と自分の道が同じでは ないことは分かっていますしね。異なる道を歩むものに、異なる 道を認めた上でなお、その幸福を祈ることができる、というのが マリナの存在の示したものであるのでしょうし、それは一つの テーマとの象徴でもあるのでしょう。それは結局、刹那たちを はじめとして物語中の誰もできなかったことですからね。 それでは長いことありがとうございました。 またの機会があればよろしくお願いいたします。 [No.719] 2009/04/03(Fri) 18:24:22 |