一瞬の命を想う
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★
狂気とエロチシズム
/ 早川
引用
- 狂気とエロチシズム -
【マス・プロダクションによる思想の無力化と表現の闇を突き抜けろ、鳥居みゆき!】
(鳥居みゆき・ハッピーマンデー)
エロチシズムが、タブーへの侵犯行為による性的昂揚だとするなら、ボクたちが、鳥居みゆき氏の演ずる、情緒不安、アメンチア、精神病患者の微妙な会話の齟齬、虚ろな挙動などを、指先にまで緻密な表現をして見せるその姿態を凝視するとき、はたしてボクたちは、密かなるタブーへの侵犯者となり、少しばかりの罪悪感【鳥居氏言うところの背徳感】をまぶした甘美なエロチシズムを共有しあえるのだろうか。
そう、昨日届いた鳥居氏の作品【鳥居みゆき・ハッピーマンデー】の中に、その甘美な「エロチシズム」を感じることはできなかった。
なるほど、収録された個々の作品における鳥居氏の抉るように吐き出す言葉の湿った重さは、今まで以上に迫力があり、声にも艶があり、洗練された気品さえ感じたが、反面、どことなくアカデミズムな舞台演劇の台詞回しにも聞こえ、氏の持つ本来の、あの荒々しい狂気を搾り出すかのような生々しさが去勢されているように思えた。100の質問に対する答えなどは、感想を言うほどの水準ではなかった。
狂気を演じられない鳥居みゆき氏に「エロチシズム」は香らない。ボクは、鳥居氏が狂気を演じきることで、ボクたちの社会が、貧困と病理と暴力と差別、そして死と生に対する思考の脆弱の中に沈んでいるさまを、フッ、フ〜ッ!と、冷たく嘲笑って欲しい。それがタブーへの侵犯であったとしても。笑いという表現方法を持った多くの演技者の中でそれを可能にするのは唯一、鳥居みゆき氏だけ、とボクは考えている。しかし、重信房子ネタ(赤ずきんちゃん)でのあからさまな自己規制で、タブーへの侵犯は既に放棄(或いはビクターエンタテイメントにより放棄させられた)したと思われる。音声の削除とボードへのモザイクで、完全に原型を消し去るという行為は見る側にとって甚だ不快であった。鳥居氏にとって製作会社の【タブー】はやはり侵犯できなかった、と言うことなのか。しかし、製作会社側を支持するわけではないが、重信房子ネタ(赤ずきんちゃん)の完成度の弱さと、写真画像の無断使用等を考えると、大手企業にとっては名誉毀損、肖像権等の訴訟問題が必ず発生すると憂慮するのは当然だろう。ポッ、と出てきたお笑い芸人一人のために【※失礼、悪意は無いからね】、そこまでの危険は犯せない。大手製作会社(マニュファクチャー、マニフェスト?マニュアル?内輪差?)のビクターに、「タブー」の侵犯などできるわけがない(でも利益は得たい)。バリバリの左翼弁護士集団が出てきたら怖いからね?重信メイ(娘)氏は、鳥居氏にも負けない美しい女性だけど、かなりの遣り手だよ。
鳥居氏にとって、今回のDVD製作で得たものは、たんに金銭的な利益だけでなく、演技者としての今後を左右するかもしれない重要な教訓と、刺激と、そして限界ではないだろうか。メジャー芸能エンターテインメントの世界で生きていくための規制と表現の限界。つまり、表現の矮小化の許容(自己規制)を絶えず求められる現実。狂気(表現)による禁忌(無知と差別)への侵犯(解体)行為であったはずのものが、奇異でチープなキャラクターに変質されて、大量生産され使い棄てられるという必然性を、鳥居氏は覚悟していたのかもしれない。狭い楽屋で出番を待つていた数年前の自分に戻ろうとは想わないだろうし、また、そんな事はできない、させない状況が、もう鳥居氏を取り囲んでいるはずだから。カルト系芸人と呼ばれるのは今のうちかもしれない。
もう、「戸川純みたくなりたい」とは言わないのだろうか?
もう、森田童子なんか聴かなくなったのだろうか?
もう、多毛症に巻かれた包帯を外す時がきたのだろうか?
そうだとしたら、つまり鳥居みゆき氏、自らの意思で白装束と狂気を棄てるとしたら、彼女の内には恐れることがあるかもしれない。それは、彼女を支持し、ある意味パブリックな世界に彼女を連れ出した、インターネットという個人の見えにくいプライベートな電子の闇からの予想のできない反動。彼女が自身のホームページやブログを持たないのにはこの根拠があるのかもしれない。
何れにせよ、鳥居みゆき氏の今の存在には価値がある。その事の重要性は誰よりも彼女自身が知っているはず。
たぶん、ボクの書いたこの文は間違っているだろう。鳥居みゆき氏はいつかまた【Gyao】で、「マニュファクチャーのVICTORはどうしようもないョ!」と批判するのかもしれない。そしたらボクはまたこのDVDを改めて観なおそう。特に、鏡(自己)の中の自分に対して、自己の存在を否定し、そして肯定しあう演技が大好きだから。ボクには、あの場面だけで、この作品を観た価値があったと思える。何故なら、今の鳥居みゆき氏の心を感じられる大事なシーンだから。
No.46 - 2008/04/26(Sat) 13:12:00
★
【すべての命を想え】
/ 早川
引用
「すべての命を想え」
― 東京新聞4/23付け社説への憤怒 ―
山口県光市、母子殺害事件差し戻し審の死刑判決は、テレビ・週刊誌・ネットが世論を煽るという異常な状況のなかで【新聞メディアは公平らしい?】、高裁、裁判官に予断を与えてしまった結果である、と、恰も高裁の判決自体が異常だとして否定する記者よ、名を名乗れ!
「愛する家族を理不尽に奪われた遺族の憤りは理解できる。」(※原文まま)この軽薄、無機質、傲慢な、新聞用語を貼り付けただけの薄っぺらい文章で、妻を陵辱され、虐殺され、児を絞殺された、夫であり父である本村洋氏の9年の辛苦の闘いを一蹴する記者よ、名を名乗れ!
犯人は、犯行時、18歳と1ヶ月だったと強調し、また中学時代に母が
CENSORED
、実父は外国人と再婚したため家庭は不安定であり【記者は何故、再婚相手が外国人である事を敢えて書くのか?】、その成育環境が犯人に与えた悪影響は甚大なのに最高裁はそれを黙殺した【記者によればこれも新聞以外のメディアとそれに雷同した世論の裁判員への圧力らしい?】、と断言し、その情緒的で安っぽい、貧困と犯罪という、いかにも古色蒼然でドグマチックな新聞屋の書きそうなキャッチを恥ずかしげもなく使う記者よ、名を名乗れ!
個別の事件の残虐性や社会に与えた影響の重大性を無視し、国際的に死刑実施国が減少している現状に今回の判決は逆行していると、お得意の便利で重宝な(国際性?ロジック)【詭弁】を文中差し替えで理論付けして嘯く記者よ、名を名乗れ!
ドラエモン云々、生き返らせるための性行為、等々、知性の欠片も感じられぬ言い逃れを真面目に裁判所で口にする弁護団の、殺意否認の弁証に世論の正当な批判【記者は、不当で異常な批判攻撃と言っている】が集中したのも、一タレント弁護士のテレビでの発言が元凶だと詭弁を弄する記者よ、名を名乗れ!
最後に取って付けた様に、「犯罪への対応はその社会の成熟度を反映する。裁判員裁判に臨むにあたり、刑事司法をわがこととして関心を持ちたい」(※原文まま)と結ぶ、何と稚拙で幼稚な社説だろうか。ボクは過去に、これほどまで成熟の欠片も匂いもしない皮相な社説を読んだ記憶がない。ましてや、名を名乗り、文責を負う覚悟すら持たない貧弱な社説を。記者よ、貴方は果たして、本村洋氏の粒粒辛苦の9年の闘いのなかでの苦渋の言葉を心で聞いたことがあるのだろうか。それとも、東京新聞という大きな囲いの内側で庇護されている記者の心に響く言葉とは、犯人が獄中から書き送った、自己の犯した惨劇を擬人化してまでも死者を愚弄する言葉と、醜い自己弁護を書きなぐった、あの醜悪な文なのか。
ボクたちには分かっている。今の新聞と、その堅牢な組織の内側に匿名で蠢く記者たちに、社会の成熟を語る資格など無いことを。ましてや、思いを残して逝った命の壮絶な哀しみを。
ボクたちはもう、マスメディアを信じない。もう一度云う、名を名乗れ新聞記者!
文責:早川孝治
No.45 - 2008/04/23(Wed) 21:31:43
★
(No Subject)
/ 時
引用
死が内在している生、それが僕です。
死とともに歩く未来、それが僕です。
少しだけ、接点が見えたので、嬉しかったです。
象徴的な白が、印象的です。
No.43 - 2007/05/24(Thu) 13:37:52
☆
Re: 【-鳥居みゆき-擬似体現における幻想としての死と病理】
/ 早川
引用
「時」さん、本当に本当に返信が遅れて申し訳ありません。書き込んでもらってから、もう一年近くになります。ボクは暫く白いベットで寝込んでいました。時さんがこの掲示板に立ち寄られる事はもう無いでしょうけれど、それでも、遅そすぎたお礼と返信を書かせてもらいます。
「時」さんはボクの写真を、象徴的な白が印象的、と云ってくれました。奇しくもボクは、白いベットの上で白衣の人たちに囲まれていた昨年のクリスマスのころ、コインを入れて一人病室でテレビを見ていたら、白装束で両手にはマラカスを持ち、奇声を発して踊る「鳥居みゆき」と言う女性芸人が出ていました。テレビで見た芸への驚きはさほどなかったのですが、その後インターネット上で流されている、フィルターのかけられていない彼女の言語と肉体による表現方法を見て、その存在の妖しさを改めて感じました。これはボクの個人的で叙情的な、ある種の懐かしさも含んだ思いですが-『1970年代の暗黒舞踏「土方巽」の身体表現を饒舌な言語で、そして痛々しいまでに自己を傷つけていく哀しい肉体の反乱へ』-というキャプションを付けたくなるような彼女のその姿態です。まさに、戦後の肉体の変質と生理の破壊が、個の内省(自虐)的病理に起因しているであろうこの「今」を、凶事を象徴する白装束を皮膚に見立て、「土方巽」の、解体される肉体を包む寂寞とした空間の「静」と対極させるかのように、妖しいまでの不安定な精神の「情動」を晒して、27歳の肉体をボクたちにぶつけてきます。でも彼女が、言語の狂気(カタルシス)と、生理の破壊と、肉体の腐敗を擬似体現して見せるとき、ボクはそこに、他者から共感されることを拒否しようとする彼女の冷たい意思を感じます。それは、ボクのホームページに貼られた死の写真の連続性のなかにある『直観によって意図された作為』と同じものだと思いました。ボクの記録した写真に込められた死のイメージは、一枚を除いてすべてが作意であり、そこに、ボクたちの想像を超え、精神をも突き抜けていくほどの驚異なる死を見つけることはできません。すべてが客観的な死、想像することのできる死、何処かで記憶された死、他人の死、でしかありません。一体、ボクたちの死は何処にあるんでしょうか。
ボクが思っているように、鳥居みゆきが他者(ファン・支持者・信奉者?)からの共感を拒否しているとするなら、彼女にとってそうする必然性とは何だろう。「粘膜は恥辱でしょう?」と、彼女が言ったのはネット上でのこと。【Gyao/鳥居みゆき連続インタビュー#3】 この言葉は示唆に富んでいる。口腔、肛門、生殖器など、内臓からつながって露出し、粘液分泌で絶えず陰湿な粘膜部位を晒すことの恥辱。破壊されていく肉体と生理の苦痛と叫びを、その端整な容姿を醜悪に奇形させて表現しようとする姿態のなんと崇高で神聖なことか。そして、他者の理解と寛容を拒否する孤高の儀式であることでしょうか。まさに鳥居みゆきは、自身を、生殖器や肛門から裏返しに剥き出し、露出した赤の内臓と、反転してしまった肉体の衝撃の様を擬似体現して見せています。ボクたちは、そんな鳥居みゆきの粘膜には触れられない。・・・ボクたちは、その孤高を支持する。
「時」さん、話が長くなってしまいました。思い入れも甚だしいと失笑されるかもしれませんね。
返信の遅れをお詫びするとともに、写真への感想を頂いたことにお礼を申します。それでは。
・・・・・・・・・・・・
※もし、鳥居みゆき氏のファンの方にこの拙い文を読んでもらっているとしたら、お礼と一言を。
文中の括弧内に、ファン・支持者・【信奉者】の表現がありますが、決して悪意や他意(二心)はありません。ボク自身、ある意味、鳥居みゆき氏の演劇的表現方法への、確信的な信奉者ですから。また、刺激的な表現も転がっていますが、どうか、文章上のスタイルの一つとして深い御理解をお願いします。鳥居みゆき氏には、今後もそのストイックなまでの身体表現で「今」を体現し続けて行ってもらいたいものです。間違っても近い将来、徹子の部屋とかに出て
「昔はマラカスなんか持たされてあんな格好して、随分と無理して演技してたんですよ。今は、本来の素直な自分を出した、ポップな演技で楽しく女優業やってま〜す!」
とか言わないでほしいものです。立ち寄ってもらってありがとうございました。
No.44 - 2008/03/31(Mon) 21:15:42
★
渋谷の死
/ 早川
引用
「詩写真」を更新しました。
写真はJR渋谷駅近くでのある日の一瞬でした。渋谷の雑踏の中で独り寂しく死んでいく彼の意味は何でしょう?そして、その死を横目に慌しく街を急ぐ人々の意味は何でしょう?
ボクには、そこに在る彼の死も、その傍を急ぐ人たちも、何だか白くぼやけて透明に見えました。そしてあの日、その一瞬を記録して去って行ったこのボクの行為の意味は何でしょうか?
No.41 - 2007/04/23(Mon) 19:04:42
☆
Re: 渋谷の死
/ 通りすがり女
引用
すべては必然なのです。
分からなくてもすべてのことに意味はある。
No.42 - 2007/05/04(Fri) 23:28:09
★
(No Subject)
/ mrpopo
引用
私は「死のう」と検索したらこちらのサイトにたどり着きました。
とても素敵なお写真ばかりで、感動いたしました。
No.39 - 2007/01/25(Thu) 18:37:15
☆
有難う
/ 早川
引用
mrpopoさん、写真への感想ありがとうございました。
「ステキなお写真」とか云われると恥ずかしいです。でも嬉しいです。「怖い写真」とか云われてばっかりですから。
「気持ち悪い写真」とか云われる事もあります。あとは「可愛いィ〜」とか云われれば言う事ないですね。まさに「気も可愛いィ」になります。頑張ります?
書き込みありがとうございました。
No.40 - 2007/01/26(Fri) 16:00:33
★
(No Subject)
/ 絢
引用
「不幸」と検索したらこちらのサイトにたどり着きました。
写真を拝見し、率直に恐怖を覚えました。インパクトが凄まじいです。
でもすばらしいですね。こんな写真撮ってみたい。
いくつか死体のようなものがありましたが、あれは本物でしょうか?
本物なら見てはいけないようなモノを見てしまった気分です…
No.37 - 2006/11/29(Wed) 00:49:56
☆
Re: (No Subject)
/ 早川
引用
絢さん、写真への感想ありがとうございます。
写真は、母の「死」以外はすべて作為です。
泣きながらシャッターを押したあの時だけがボクの真実です。
山下公園に置かれた「死」も、赤煉瓦倉庫近くに置かれた「死」も、作られた「死」でした。いま生きているボクに、確実に内在している根源的な「死」を表現するための方法として作った「死」でした。死とともに消えてしまった母の命の真実と、生とともに存在しているボクの命の真実を知りたかった。10数年前のボクの迷いでした。
死を内在しながら生きていく事を知っているボクたちの心には、もう恐怖はありません。
絢さん、写真への感想、本当にありがとうございました。
No.38 - 2006/11/29(Wed) 17:15:11
★
ろ
/ うぃ
引用
とりあえずGOOD
No.35 - 2006/08/22(Tue) 00:32:22
☆
Re: ろ
/ 早川
引用
うぃさん、感想ありがとうございます。とりあえずお礼を。
No.36 - 2006/08/22(Tue) 20:28:31
★
見入ってしまいました
/ 通りすがりのヤナギダ
引用
はじめまして。30歳の男です。
この写真集を拝見して、養老猛司さんの本を思い出しました。日本では、水洗トイレがはやったころと同時期に火葬が始まり、死を忌み嫌い、きたないものくさいもの(=死体)にふたをしてきた、というようなことでした。
私も、「火葬」時代の生まれですので、そのせいかわかりませんが写真におどろおどろしい雰囲気を感じてしまいましたが、死が生の一部であるという認識から私たちの世代はずいぶんと遠いということだと気づかされました。
不思議です。親のの死体は怖くもなんともなかったのに、ネットで見ると死体かどうかで怖さが変わってくるという・・・
それでは、失礼します。
No.33 - 2006/08/21(Mon) 12:20:01
☆
Re: 見入ってしまいました
/ 早川
引用
通りすがりのヤナギダさん、写真の感想ありがとうございました。
ボクは、10数年前にある写真雑誌で、確かドイツの写真家だったと憶えているのですが、遺体安置場、或いは遺体解剖室の様な場所で、明らかに身元不明の行き倒れと思われる遺体に、サラリーマンのように背広を着せ、また、パンツとシャツだけを着せて、椅子に座らせ正面から撮影された写真を見た事があります。その遺体に共通しているのは全て首が無かった事でした。はたして、ボクたちはそれを写真芸術と呼んでいいのでしょうか?
性的倒錯犯罪者が、殺害した遺体に好みの衣服を着せて快楽を感じる行為と、一体どう違うのか?
おそらくその写真家は、遺体を撮影するのにある程度の金銭を必要としたでしょう。遺体の撮影を許可した人たちが、彼の行為に芸術性を感じたとは到底思えません。
腐敗臭の中で、医療用のゴム手袋をして遺体に工夫する彼の執念に、ボクたちはリアリズムを感じれるのか?
ただ、衣服を着せられた首の無い遺体の放つ静寂は、恰も、生きているボクたちの中の死の予感を想わせる。
やはり、死は内に在るのか。やはり、生は一瞬なのか、、。
もう今では、あの写真家の作品を見ることはありません。通りすがりのヤナギダさんの感想を読んで、遠い夢のようなあの頃のボクの迷いを思いだしました。
写真への感想、ありがとうございました。
No.34 - 2006/08/21(Mon) 21:55:52
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