ままかさん、皆さん、こんにちは。
相変わらずのちんたらレポートにお付き合い頂いてありがとうございました。 では太宰府二日目の後半、レポ最終回いってみよー。
太宰府資料館でのおじさんの親切な解説を聞きながらふと時間を見るともう夕方も近い。 この後水城跡にも行くことを考えると、そろそろ動かねばなりません。私事ですがこの日はさすがに帰宅が遅くなるのは避けたかったし(子供が…(^^;))。 本当は広い政庁跡の隅々まで見て廻りたかったんですが、雨も相変わらず降ってるし、時間もないということで、タクシーで水城跡まで行くことにしました。そのまま水城跡から最寄りの駅に連れてってもらえばベストだし。
私が受付でタクシー会社の電話番号を聞いたりしてる間も、雅景さんは記念スタンプを押したりしてて、しっかり戦利品確保に余念がありませんでしたよ(^皿^) う〜ん、こういうエネルギー、人の数倍もその地を味わいつくすコツですね。見習おっと♪
水城跡は政庁跡から西北西3〜4kmくらい?唐と新羅の攻撃に備えて664年(諸説あり)に築かれた防衛施設です。全長約1200mの土の堤防を築き、博多津側には堀を作って水を貯えていたとか。今はその史跡しか残っていませんが、「防人の歌9」で光が博多津からの警備から戻る途中にここを通り、ここで炎上する政庁を見た…という設定ですよね (ですよね?ままかさん??)
タクシーの運転手さんに水城跡がよく見える所に連れてってほしいと言うと、ちょっと小高い丘になっていて水城跡を俯瞰出来る所に連れて行ってくれました。タクシーを降りて道とも言えない小径を上って行くとちょっとした展望所みたいな所に出ました。幸い雨も小やみになっていて助かった〜(^^;) もしこれで土砂降りだったら濡れねずみどころか泥ねずみでしたよお。 うん、ここから水城の跡、わかりました!緑に被われた細長い堤防のようなものが。 さらに太宰府市や大野城市、遠くに福岡市も見渡す (というには高さが足りなかったけど) ことが出来て、鉄道や九州自動車道も見えました。さらに北には海が、そしてその向こうには大陸が…と思うとこの史跡の果した役割というものも何となく実感出来るように思います。 肝心の政庁跡もここから見えたんでしたっけ?(>雅景さん)
一応観光客を意識したような案内図や解説図はあったけど、かなりマイナーな感じが(笑) お土産屋やダンゴ屋とまでは言わないから、もう少し整備してあればいいのにと思ったりもしました。 水城跡も何も知らなければ土手に毛が生えた…じゃなかった、木が生えた所、にしか見えないかもしれません。でもここに「光が」「社が」と妄想が加わっている我々には、この上ない貴重なスポットに他ならないんですよね(^_-)。生えている木にもどこか重みを感じたりして(思い入れのなすワザか)。
他に観光客はいるかなと思ったら、我々より先にパンピー風な(笑)アベックが展望所に上っていったんです。おお、見る人いるじゃん!と思ったらすぐ降りて来た(^^;)。 我々は例によって写真を撮ったり、解説盤を読んだりしてかなりじっくり味わってきましたよ。
そんなんで最後の目的地水城跡も目にすることが出来、大満足でした。 待っていてもらったタクシーの運転手さんに駅まで連れて行ってもらって我々オタッキーアベックは二日間に渡る太宰府の旅を終えたのでした。 この運転手さんも親切でいろいろと太宰府にまつわるお話を聞かせてくれましたよ。
「えにし」ゆかりの太宰府、行ってよかったです。改めて歴史を勉強出来たり、土地の人の地元への愛着心に触れることが出来たり、そして何よりも「えにし」第二部を読みかえした時の感慨が違います。 雅景さん、遠い所から来て下さってありがとうございました(チョイチョイツッコミ待ってます)。 レポートの場所を提供して下さったままかさん、読んで下さった方、本当にありがとうございました! |
No.2584 - 2007/10/28(Sun) 10:04:23
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