ままかさん、こんにちは^ ^。
「良夜」Web版のURL 、わざわざ有難うございました!早速拝見しましたよ〜^ ^。あぁ〜これだったんですね元絵。どこが雑なんですか??とても美しいじゃないですか!!!
確かに後書きのイラストが一番!エロチックですね^ ^。
この2人の体勢もさることながら、佐為が烏帽子を被っているという「日常」をまとい、かつ普段着ているはずの狩衣が下に無いというのが、エロチックさに拍車をかけている気がします。
出仕している時の顔のままに事に及んでいるというのが。
あ、烏帽子無しの佐為がセクシーじゃないというわけでは、全くありませんからね。
ままかさんの描かれる、烏帽子無しの佐為の乱れた髪が褥に広がる様はゾクゾクします💕
この後書きを拝読、ままかさんの「なんで、書く方が恥ずかしいんだろう」発言から色々考えていました。
絵と文章では、脳の使う場所が違うんでしょうね。
日本で逐次通訳をしていた事があるのですが、仕事の後は前頭葉がそれとはっきり分かるほど、どっと疲れていました。ああ、まさにここが言語を司る部分だなというのが体感出来ました。
そこ一ヶ所に仕事が集中している感じです。
一方、絵は脳全体をバランスよく使っている気がします。
学生時代、こちらのカレッジのアートの授業で、左手でデッサンをするというのがあり(私は右利きです)、何故か右手で描くより、自由に手が動くというか、線に勢いが出るというか。左手=右脳=創造する側なわけですが、この時の疲労感が脳全体的でバランスが良く、運動をした後のような、心地よい疲労感だった覚えがあります。
囲碁も脳全体を使っていそうな気がします。
描き方を考えながら思考する。
って、私の勝手な想像ですが^ ^。
楊海さんの「夢解析&再現」を思い出して、脳内に思いを馳せてみました。
思うに、読み手は字を追って読むことで、書き手はお話を紡ぐことで、その内容の疑似体験をしている。
絵はその瞬間を切り取った静止画ですが、文章は順を追って、お話の世界に読み手(&書き手)をいざなうので、頭の中でその場面の画像が繰り広げられる。字面を追うことで、自分の想像の中の画像が動くんですよね。
絵は静止画、文章は動画。
絵はきっと第三者として、外から眺め、愛でていられるけど、文章は疑似体験をするから、お話に登場する当事者に近いというか…。
さらに、物語にしっかり浸かってしまうと、当事者目線になっちゃったりして、だから睦み合うシーンを「書く」のは、書きながら自分が一緒に体験しているようで、「描く」よりも恥ずかしいのかも知れません。 さて、どっぷりと物語にハマるべく、今夏は「えにし」を連れて里帰りしますよ〜^ ^。
危険な夏になりそうです😅。 |
No.3182 - 2019/05/16(Thu) 22:37:49
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